京都・観月橋時代 
     1968−1969


           1968年結婚して京都の北から南の伏見区、観月橋団地に移った。京都
          市内では当時まだ珍しい団地であった。



愛知県三谷富貴貫旅館にて安城の姪っ子達と

                                      
                                       
 1968年奈良・当麻寺。竜谷大の芝原先生、
 京都産業大の木田先生の案内で営業所
 の仲間達と奈良甘樫の丘を歩く。
 1968年岡山県・倉敷大原美術館を訪問。
 京都営業所の旅。

 
 1968年8月夏休みで京都の姉妹と三重県
 伊勢志摩国立公園へ海水浴のドライブ。
 1968年10月 伊吹山へ。京都営業所貫井君と。


後半には京大文学部も担当するようになりギリシャ哲学の田中美知太郎教授、
フランス文学のフローベールやアンドレ・ジードの生島遼一先生、プルーストの
井上究一郎教授などの自宅にお邪魔することもあった。研究室だけでなく通勤
電車でもお会いすることのあった言語学の若い西田龍雄先生が西夏文字を解
読されて学士院賞恩賜賞を受賞されて驚いたり。  


                                   
                                           
 1968年9月 二条城天守閣からの風景。
 
 1969年5月 東京から住友商事の直之君が入
 洛。家内と宇治・平等院へ案内する。
 1969年7月 夏休みに山梨県昇仙峡へ。                    1969年 昇仙峡から富士山へ。五合目の御嶽神社。    
                             1969年8月 京都府舞鶴港 海上自衛隊艦船。 営業所の海水浴。

        5年以上通った京都大学は私の第2の母校ともいえる。多くの先生にお世話になった。同じ愛知県(豊橋)出身で
       教養部で物理を教えておられた田村松平先生にはよく科学史関係の洋書を依頼された。当時コロンビア大から
         母校に出来た基礎物理研究所に赴任されていた湯川博士には1度しかお会いする機会はなかったが、田村先生
          には「湯川君は・・・・・」と言って話しを聞くこともあった。かつては日本で初めて量子力学の講義もされた田村先生
は湯川博士とは物理の共著も出されていた。
        数理工学教室では松村睦豪先生、小竹武先生にはいつも紅茶を淹れて頂いた。小竹先生は留学先のイタリアで
車の免許をとった愉快な話を伺った。後にマサチューセッツ工科大に招聘され日本を離れた。
       一方私が神戸に異動の時、送別会をやってくれたのは理学部地質学科の中山先生や助手、院生の皆さんだった。


     へ戻る             へ戻る