立川時代 
  1975―1979


         営業部門から海外学術雑誌の輸入部門に転属。洋書部から新しく分離独立した外国雑誌部である。
         10年一昔と言われるが11年ぶりに東京へ戻った。関西では住宅公団に住んでいたので東京でも
         その斡旋を待って数ヶ月は国立市の社のアパートに仮住まい。しばらくは単身赴任。
         洋書の営業も専門用語の知識は必須だった。しかし輸入部門はその程度の外国語力ではレターも
         テレックスも打てない。着任次第私のデスクには毎日欧米各国の学術出版社からレターが何十通
         と配達された。


                                                                                         
1975年8月 愛知県日賀間島 海水浴。安野一家に
合流して8人で。
 1976年6月 外国雑誌部の懇親旅行。
 伊豆、修善寺、浄蓮の滝などを回り社の
 伊豆高原荘に宿泊。
1977年5月 紀伊国屋書店創立50周年
記念パーティ。ホテル・ニューオータニ。
外国雑誌部の皆さん。
1977年7月 伊豆サファリー公園。外国雑誌部
の1泊旅行。皆で汗をかいた。
1977年8月。夏休みは京都の実家へ。
京都の姉妹も一緒に社の淡路荘へ。他の
客がいなくて貸切状態。保養所からの瀬戸
内海の風景。
1978年5月 家族とケーブルで高尾山に登る。たくさんの
日本猿。
1978年2月三鷹市の井の頭公園。立川に来て
からは家族とよく吉祥寺まで遊びにきた。
1978年1月 立川市若葉町の家の先で遊ぶ子供達。
軍事基地のイメージが強かった立川市も団地のあった
若葉町あたりは武蔵野の延長のように自然に恵まれ
ていた。



      


           1978年6月 英国の出版社Taylor & Francis 社やCambrige大学
          出版局などを訪問のため初の海外出張。これが私の海外とのつき
          合いの始め。仕事の終わった後のハイド・パークでの散策。

               

                                                                         
  1978年6月ロンドン滞在中、シェークスピアの故郷
  Stradford upon-avonを訪問の帰り道。コッツウォル
  ズのどの村だったかわからない。
  1978年11月 英国大使館British Councilにて。中央 Harrap社Berry専務の挨拶。
  彼の左、写真家・東京工芸大教授の細江英公氏。左は彼の友人、九州産業大・
  小沢健志氏。紀伊国屋書店外国雑誌部主催のTaylor社Lewis社長歓迎パーティ。 


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