Photo Gallery (2)
 
HOTEL―3  USA & Canada <1>

アメリカのホテルは1981年からの付き合いである。仕事で訪ねた
New York、Washington,Philadelphiaと東海岸が多い。


                
                                               
                                                  
1981年初めてのニューヨークへの出張途中。
アンカレッジ空港でトラブルにあった。エンジン
トラブルで出発できず。
急遽アンカレッジ泊まりとなりJALの客は市内のホテルへ向った。
School busが着いた先は
Hotel Captain Cook 時刻は
午前3時である。明日のフライト時刻も決まらずNew York には
何時着けるのか?
初めてのNew Yorkには深夜に到着。
無論迎のNY スタッフは来ていない。
東51丁目のLoews Summit Hotelに
着いたのは午前2時前。
右側のLexington Avenueのホテル・サミット8階
が現地手配の私の宿舎。明朝から仕事が待っている
これから10日ほど世話になる宿。。
西海岸のサンフランシスコへ飛ぶ。
アメリカのNPOであるBIOSIS(生物科学
情報サービス)が手配のJack Tar Hotel
へ来る。
BIOSISの日本のエージェントの4社との1981年度の販売会議
に出席。会議室はこのホテル内にある。以前皇太子時代の平成
天皇の泊られたという由緒あるホテル。しかし最近インターネット
で見ても見当たらない。なぜ?





サンフランシスコの日本人街。ここには紀伊国屋書店の一番古い
海外店がある。左のビルは都ホテル。


                                             

                                                  
 金曜日の夜には2日間の販売会議は終了。翌朝にはホテルを移
 動。2日間の休日の後は第100回全米図書館協会総会が開催さ
 れる。 左のビルが今晩からの宿Hotel Canterbury

 
土曜日は日本の3社の皆さんと初めてのサンフランシスコ観光
の機会が持てた。金門橋をタクシーで渡り隣のリゾート町サウ
サリトへ出る。
1982年シカゴへ出張。シカゴ郊外の Holiday Inn Chicago−
Countryside/Lagrange
にてNew Yorkのスタッフ馬上君
(Mr.moue)と合流する。
 ゆったりとしたツイン・ルーム。翌朝にはシカゴ市内のAmerican
 Medical Society (アメリカ医学協会)を訪ねる。翌日は郊
 外のAmerican Nuclea Society(アメリカ原子力協会)に
 出かける。
   シカゴ3日目の夕刻にはNew Yorkへ移動する。東39丁目の
  Tuscany Tower Hotelへ。
週末まで連日ニューヨーク市内
   の出版社や学会事務局へプレジデントやディレクターを訪ねた。
土曜日にはワシントンへ移動する。Dupon Circle
に位置する 
Washington Hotel Dupon Plaza
当時確か一泊$65.00位でNew Yorkより大分安かった記憶
がある。部屋はきれいでゆったりしていた。ちなみに今回インター
ネットで見たレートは$130.00 26年たって丁度2倍だが決し
て高くはない。
1982年6月シカゴからスタートして今回の最終地
フィラデルフィアにくる。昨年はニューヨークからの
日帰りだったが今回は2泊する。
フィラデルフィアで由緒あるホテルであったが
名前が思い出せない。左のビルである。夕食
はルーム・サービスでゆっくり頂く。


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