アレキサンドリアの旅
    
1999年6月


 


 『アメリカ東海岸周遊8日間』のツアー5日目、
 6月22日(火曜日)夕刻午後5時過ぎバスで
 ワシントンを発って隣町のアレキサンドリアへ
 向かう。日本人には余りなじみのない人口13
 万ほどの地方都市である。私も全く知らない
 街。およそ30分走ってラマダ・ホテルへ到着
 する。

 6時半と早まっていた夕食が更に繰り上げ6時
 からと言う。食堂の遣り繰りがつかないしわよせ
 か。部屋に入っても顔を洗う時間しかなく、服装
 もそのままで指定のバンケット・ルームに向かう。


    (Potomac River)
 
                                    


 部屋には10人がけの大きな丸テーブルが4
 つ。別払いのビールは$4.00、今晩はいつ
 ものバドワイザーではなくライトにする。テーブ
 ルでは松村が例によって必ず私の横に座る。

 他に地味な老夫妻、隣のおじさんはいつも
 難しそうな顔。ジャケットのおじさんは前に
 一度行ったというロッキー山脈とナイヤガラ
 瀑布の観光の話を。他にはソウルの思い出
 を聞く。



                                              (At Mount Vernon) 
                                       7時にはディナー終了。一旦部屋に戻ったが一人ホ
テルの近くを散策する。フロントで近くのマップを依頼
する。アレキサンドリア市のPR冊子を渡され、その中
に街の略図が載っていた。ホテル前のタクシー・ドラ
イバーのポトマック川の方向を確認して出かける。

道路に出てしばらく歩くと左手の先に川が見えた。
我々のツアーの母子連れが丁度帰って来るところ。
早々と散歩に出ていた様子。ポトマック川の岸辺近
くにはやはり同じツアーの石井おじさんと二人連れ
のおばさん達。松村君によれば彼の時計は200万
はするし、リングは100万はかたいと言うことだった。
チョッと気障なおじさん。思わぬ所で出くわしたので
   
(Mount Vernon)                      初めて声をかけた。
                                           
                                          

 翌6月23日(水曜日)7時半にモーニング・コー
 ル。バイキングの朝食を済ますと、9時にはバ
 スでホテルを出発。今日は初代アメリカ大統領
 ジョージ・ワシントンの邸宅と農場のあるマウン
 ト・バーノンへ向かう。

 およそ1時間走って到着。お昼の12時まで約
 2時間の自由時間。チケットを受け取ると皆自
 由にワシントン大統領の農場を歩く。邸内では
 当時の服装をしたここのスタッフがたち働いて
 いた。かつてはここに300人の奴隷が働いて
 いたと言う。

 邸宅の前は一面広大な芝生が広がりその先
 は湖かと思える広い川が流れている。裏手の
 農場では小学生の5,6人が柵越しに放牧され
 ている何頭かの馬に草をやっていた。 

                                        (City Hall & Girls)
  


12時にはワシントン邸を後にしてアレキサンドリア市に戻る。ハンバ
ーグ・ステーキのランチの後はフリータイム。私の横にはまるでボディ
ーガードの様に松村君が付いていた。

途中ジュエリーの店を見つける。妻も娘もサイズが小さくエメラルドの
リングはあうのがない。結局シルバーに14Kの組み合わせにしたが
慣れない買い物は失敗のもと。靴でも洋服でも当然サイズの基準が
違うのにリングだけ同じと思うのが間違いの元。

街のあちこちに見られる 1749−1999 Alexandria の旗はア
レキサンドリア市250周年の記念の年であった。コンサートの市役所
前を折り返し、大きなガラス張りのショーウインドウに綺麗な風景画を
見つける。いずれも写実的な風景画が並ぶアート・ギャラリー。新しい
ものだが大作が多い。価格は$5000以上する。気に入った絵を写真
に撮る。ついでにデスクに座る若いスタッフに声をかけ
                   「バックの絵と一緒に貴女も撮らせて」
  
(Mr.Kamata of Secom)    とカメラを向けるとチョッと驚いた彼女は
                    すぐ笑顔に変わりOKと言う。


                                          

 その後別の通りでシルバー・ジュエリーの看板を見 
 つけ中に入る。松村は自分用に男物のリングを物
 色する。あれこれ指にはめてサイズを確かめる。や
 はりリングは本人が見てはめてみないと駄目だ。


 午後はワシントンに向かい2日目の観光。しかし夕
 刻4時にはアレキサンドリアのラマダ・ホテルへ戻
 った。7時から夕食で、8時には自室へ。これで今
 回初めてのアメリカ観光の旅は無事終了。

 部屋にあるアレキサンドリア市紹介誌を見ていると
 大型ショッピング・モールのLandmark の広告が目
 にとまる。夜は9時半までの営業とある。今8時40
 分だ。周辺の地図には載っていないが Duke St.
 とある。早速フロントに電話して聞くと、タクシーで
 行って10分位と言う。思い立って最後の夜だから
 タクシーを飛ばしてみよう。


                                      (At a Art Gallery in Alexandria)

  手ぶらで1階へ降りるとフロントで添乗員の安尾さんにばったり会う。
  「あれ、これからおでかけですか?」
  「ええ、チョッと市内のショッピング・モールまで行ってみようかと思って」
  「アレキサンドリアにも一部怖いエリアがあるので気を付けて下さい」
  とアドバイスを受ける。ホテルの駐車場に1台客待ちのタクシーがおり、
  「これからランドマークまで行きたいどれ位時間がかかるかね? それ
  にタクシー代はいくら位になる?」 
  「そうさね! 15分位かな。 $15.00もみておけば大丈夫だよ」
  と答える黒人の青年、
  「それじゃ頼む」


  


走り出したが道は暗い。住宅地を抜けると幹線道路に入ったが商
店の灯りもまばら。しばらく走ってまた細いストリート。結構スピード
を上げるが一向にそれらしいショッピング・モールは見えない。黒人
のドライバーは暗闇を走りながら
「お客さんはどちらからですか?」
「私は日本から」
「自分は5年前にアフリカからやって来た」
「あそう、アフリカはどちらから?」
「北アフリカはエチオピアの近くのソマリアから両親と一緒に移住し
て来た。今はアレキサンドリアの隣町に住んでいるよ」
ニューヨークのタクシーはほとんど外国からの移民と聞くが、ワシン
トン郊外のこの田舎でも案の定アフリカ移民のドライバー。
「日本の景気はどうですか?」
「今日本はとても不景気だよ。失業率も高いしね!」



  (A Shopping Mall in Alexandria)

  その後日本は久しく経済大国と言われて国はリッチだったが、その時でも国民はプアだっ
  たといえば Why と聞き返された。そんな時やっと9時前にランドマークの正面入り口に
  到着。随分走ったと思ったがメーターは$11.75だった。

  閉店まで後30分とないせいかそろそろ閉まりかけている店もある。貴金属を扱っている
  インド系のおじさんの店ももう店仕舞いの様子。イヤリングはほとんどピアスだった。結局
  チェーンだけを買い、そのあとCDとビデオの店を覗いて出口に向かう。
  しかしタクシーの来る様子はない。近くに停車しているポリスの車を見つけ
  「エクスキューズ・ミー!タクシーに乗りたいのだが!」
  「モールのセキュリティーに言えばタクシーを呼
んでくれる」       
  「そのセキュリティーはどこにあるの?」
  「そこの入り口右にある守衛室に入って」

  守衛室には二人の男がおり、手前の黒人に
  「アレキサンドリアのラマダ・ホテルまで行きたいけど、タクシー
  を呼んで貰えますか?」
  「おおイエス、ラマダ・ホテルまでね。名前は何と言いますか?」
  と言うとすぐ受話器を取ってタクシー会社へ電話を入れる。
  「5分ほどで来ますから」
  「サンキュー!」
  と言って外へ出る
。         (Tide Lock Park) 

  


 タクシーが現れた。窓を開けた黒人のドライバーが
 「ミスター・マキ!」
 と声を上げる。早速乗り込む。走り出したタクシーのメーターを
 フト見ると20となっている。夜間に呼んだことでスタートから既
 に$20もカウントされているのかしら。車のラジオではNBAの
 バスケットの生中継をやっており、黒人の運転手は
 「バスケットはすきですか?」
 「いや、日本ではバスケットはアメリカほどポピュラーではない。
 野球の方が人気があるよ!」
 それより暗闇のような道を突っ走るタクシーのメーターが2.5
 づつ頻繁にオンされていく方が気になる。見る間に$40、$5
 0と上がり来た時がトータル$12までだったことを考えるとひ
 ょっとしてメーターを何か操作してないだろうかと心配になって
 きた。
  

    

















     


こんな田舎でぼられてはたまらん。対策を考えなくて
は。少なくとも方向だけは大丈夫だろう。下手に文句
をつけてもハンドルを握られている以上、何処へ連れ
て行かれるか判らん。ここは先ずホテルに着くのが先
決。そこで金が足りない、取って来ると言ってタクシー
を降りてホテルのフロントにフォローを頼むのがベター
と判断した。そこまで考えて、そしらぬ顔でタクシーの
窓から外の様子を眺めている。それにしても遠くまで
来たもんだ。随分走っているが未だ着く様子はない。
そうこうしているうちに遂にタクシーのメーターは100
となる。

(Potomac River Side near The Hotel) 

  処がその桁が変わったとたんに$10.00となった。
  今迄ピリオッドが見えなかったが、メーターが上がって
  いたのは$2.50づつではなく、C25づつアップしていたと言うことか。それに気付いて
  一辺に肩の力が抜けた。独り異郷の地にある時はいつも持っている警戒心がとんだ
  想像力を掻き立てていた。まさに杞憂であった。ホテルの前に着いた時のメ―ターは
  $12.50。手持ちの紙幣は$20札しかなく、 運転手には
  「$5.00、バック」
  と言っていた。$100取られずに済んだので、$2.50と遂チップも2割と弾んでいた。


   

  翌6月24日(木曜日) 帰国の朝。7時過ぎには朝食を済ませ、カメラを持って独りポトマ
  ック河畔へ出る。朝の散策。ジョギングの人がいるだけの静かな朝。時折エンジン音に空
  を見上げるとワシントンの空港へ向かうジェット機を見る。

  午後12時50分、我々を乗せたNH1便は成田に向けてワシントン・ダレス国際空港を飛
  び発った。13時間のフライト予定。
  今回のアメリカ・ツアーは一部ハードなスケジュールだったが年配者が多いにも拘わらず
  誰一人脱落する人はいなかった。若手の松村君以外特に親しくはならず一定の距離を
  おいた旅だった。


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