ワシントンの旅  
      1983年5月

   


  5月29日(日曜日)午後フィラデルフィアから
  いつものアムトラックでワシントンに入る。
  宿は昨年と同じデュポン・サークルの近くの
  Dupont Plazaにチェックイン。

  夕食はやはり昨年も寄っている近くの中華
  レストラン確か南国酒家へ足を運ぶ。このコ
  ースが私にはワシントンへ戻って来たと言う
  実感がある。



     (Hotel Dupont Plaza)                                    

    

  ホテルのデュポン・プラザは部屋も結構広くて 
  ゆったりしている。バスや洗面もきれいで割り
  に気に入っている。それで一泊 $72.50
  ニューヨークのことを思えば大分安い。

  ホテル近くは昨年も一人でテクテク歩いてい
  るので近くのカフェも日本レストランも懐かし
  い気がする。

                                                  (Near the Hotel)
 

  
   夕食から8時前にはホテルに戻っていたが珍し
   く服を着たままベッドの上で寝てしまった。もち
   ろんビール一杯飲んでいただけで酔っていた
   訳ではない。ニューヨーク,フィラデルフィアそし
   てワシントンと移動し結構疲れていたかも知
   れない。12時に一旦眼を覚まし風呂に入って
   ベッドに入った。

   そのせいか翌5月30日(月曜日)は朝6時に起
   床していた。しかしこの日は Memorial Day
   と言う祭日だった。天気は今一つだったがワ
   シントン市内に出かけることにした。


     (Lincoln Memorial)                                            

   

   
   ワシントンは3度目になるがリンカーン記念堂  
   には初めての訪問になる。西ポトマック公園
   内にギリシャ建築風の巨大な白亜の建物が
   建つ。この記念堂から一直線の先にワシント
   ン記念塔が立っている。更にその後からまっ
   すぐの先には国会議事堂がたっている。

   私はリンカーン記念堂のあとその一直線を東
   に歩く。1884年に完成したと言う169メートル
   のワシントン記念塔は下まで来て見上げる
   とさすが高い。


                         (Washington Monument from Lincoln Memorial)
                                                   

ワシントン記念塔から更に東へ行くと
最初にNational Museum of 
History & Technology 歴史技術
博物館に入る。車等の実物や模型が
並べられその発展がビジュアルに表現
されている。

次にAir & Space Museum 航空宇宙
博物館。こちらはもっと刺激的である。
ライト兄弟の飛行機から宇宙ロケットの
アポロまで見ることが出来る。


       
(Smithonian Institution)
                                          

  
  その後私は議事堂の右手に Botanic Gardens 
  植物園を見つけて中に入ってみた。
  夜には馬上君がニューヨークから来るのであまり
  遅くならない内に一旦ホテルへ戻る。その上で
  食事に出かけよう。

         
            






  翌5月31日(火曜日)午前中にNational Academy
  of Sciences 国立科学アカデミーのAssistant
  Director William Burns氏を訪ねる。
  Bisiness CordinatorのJ..Littleさんも同席した。

  午後には昨年はアーリントンに行ったアメリカ心
  理学会のワシントン市内のオフィスを訪問した。
  国際部のAdministrative Associate S.Kennedy
  氏に面談。
   
                            (Ms.J.Little at National Academy of Sciences)       

 
 翌6月1日(水曜日)はワシントン近郊のメリーランド 
 州べセスダのDisclosure社を訪ねる。同社は米国
 上場企業の有価証券報告書などの企業情報をディ
 スクローズしている。

 当時馬上君も私も結構ヘビースモーカーだった。
 ヒクソン社長と面談の折、応接のテーブルに灰皿が
 見当たらない。何と気の利かないと思いながらリク
 エストすると
 「我が社には灰皿は置いていません」
 と言われ、次ぎの言葉を飲み込んだ。80年代初期
 日本では未だ嫌煙権などと言う言葉はなかったか。
 

      (Mr.Hixon,President of Disclosure co.,)

     ワシントンに戻ると午後3時過ぎのシャトル便で何日かぶりのニューヨークへ戻る。
     アメリカ最後の夜となったこの日はニューヨーク店の山路店長と会食した。
     翌6月2日(木曜日)12時発のパンナムPA801便で成田へ向かう。6月3日(金曜日)
     午後3時過ぎ無事成田に到着。翌6月4日(土曜日)は2週間ぶりの出社。


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