London 1998 |
近年ツアーで海外へ出かける事が多かった私は、この 年久しぶりに一人でイギリスに行った。その計画ではロ ンドンだけでなくイギリスの地方を回ってみたい。 とりわ け未だ行ったことのない北のスコットランドまで足を伸ば したいと考えた。 そのため現地のバス会社が主催する英国周遊4日間の コースに申し込んでいた。その前後3日間をロンドン市内 で過ごす事にした。 実はこの時の旅行はトップページのインデックスでも紹 介している『7泊9日イギリス一人旅』と言う紀行にまと めた。いささか手抜きになるが1998年の案内はそれを 引用しながらレポートしたい。 |
(A Guard of Horse Guards 1998)
A Map of LONDON Incl.main Hotles in 1998 |
ロンドンに着いた翌日は朝からラッセル ・スクエアのホテルを出ると地下鉄1日乗 り放題のワンデー・トラヴェル・カードを買 った。 『セント・ジェームズ公園を抜けた所がち ょうどバッキンガム宮殿前の広場に通 じる。11時半頃から始まるあの有名な衛 兵交代の儀式はもうあらかた終わった 様子。三々五々広場を去る人また訪れ る人と賑わいを見せている。 ・・・・・・・ 今日は人で混雑する宮殿前ま では行かずヴィクトリア・メモリアルの周 りに咲き誇る花壇をカメラで追っていた。 突然行進曲が聞こえると私の周りの人 達がそちらへ動く。見ると宮殿の前をこ ちらに向かってくる先頭の黒いコートの 騎馬兵が目に入った。私も急いで場所 を移し300ミリのニコンを取に先導され て赤い制服に黒のズボンの軍楽隊の 行進が続く。少し遠いがシャッターを 切る。』 |
『ザ・モールからまたセント・ジェームズ公園に戻る。 「すみませんが,写真をとっていただけませんか?」 不意に若い女性の声に呼び止められた。 「ああ、いいですよ!」 と差し出された彼女のカメラを受け取る。 「この薔薇の前でお願いします」 まじかにとても透明感に満ちたブルーの瞳がこちら を見つめている。 「ロンドンは観光ですか?」 「ええ,イタリアから2週間の予定できました」 「そうですか。私は日本から昨日ロンドンに着いた ばかりです。 1週間の間に英国の地方も回る予定です」 英国でもそんなに身近に美人をみかけないだけに、 この美しい笑顔で答えるイタリア娘には何時までも ここにいてくれとばかりに話しを続けていた。 「今は夏休みですか?」 「ええ、私はミラノの学校で今英語を勉強していると ころです。 ですからまだ英語はそんなに上手には話せません」 ・・・・・・・・・・・』 |
(
The military band in front of Buckingham
Palace.)
(A Traveler from Italy 1998)
午後一旦ホテルに戻り近くの大英博物館に出かける。 『ここは単に一英国の博物館というより、世界の文化遺産の 宝庫。とりわけエジプトやギリシャ,ローマなどの古代文明の 遺品では世界に類を見ないといえる。 口の悪い人は盗品博 物館というが、何しろこれだけの人類の遺産を収集し、維持, 公開を続ける努力は並のことではない。・・・・・・・・・・・ これだけの博物館でフラッシュをたいて写真が自由に撮れる 所はそんなに多くないのではないか。 パリのルーブル美術館、 ニューヨークのメトロポリタン美術館、 いずれも写真は撮れるが フラッシュをたくことは出来ない。 |
「エクスキューズ・ミー!この動物園にジャイアンツ・パンダがいると思って来たけど、何処にもみあたりませんね」 「ええ、パンダですか。今はもうパンダはいませんよ」 「どうしたんですか?」 「パンダはもう大分前に中国に返したんですよ。もともと中国から借りていたんですが、パンダは1年に3日しか繁殖のチャンスがなくて、結局ロンドンでは成功しませんでした」 |
・・・・・・・・ 動物園の事務所に続く建物にロンドン動物学会 の看板を見つける。住所がロンドン動物園内であることは承知 していたが、ここに事務所があるんだ。 実はこの学会が19世紀の1864年以来刊行を続けてきた 「動物学レコード」という貴重な文献の刊行が困難に なった時期があった。 私が前の会社でビジネスをして いた米国の公的機関BIOSIS(生物科学情報センター)が 支援して、その情報をデータベースに取り込み、 米国から世界へ発信したことがある。私はそのデータを 日本に紹介した。』 『タワーブリッジに上がるとテムズ川から吹き付ける風は 更に強く冷たい。ダークグリーンのジャンパーのジッパーを 首の上まであげる。橋の上は結構車が多く、 人は両端 の歩道しか歩けない。それにこの寒さのせいか歩く人は少ない。 私はそれでも橋の上からテムズ川のロンドンを何枚もの 写真に収める。そしてまじかに見るタワーと橋の欄干自身を。 ・・・・・・・・・・・・・・・ |
(Tower Bridge 1998)
(Hey's Galleria 1998)
それにしてもロンドン塔の向こう岸に比べ、
南のこちら側のなんと淋しいことか。ほとんど人のいない岸辺の芝生で声を張り上げる物売りの妙に虚しい。 私はこの遊歩道で時折シャッターを切りながら一人歩いた。私の前を唯一中年の夫婦一組が歩いていた。奥さんの方がミノルタを持って盛んにタワー・ブリッジを撮っている。 彼の方はしびれを切らして少しずつ先に進んでしまう。しばらく行くうちに私は彼の方にも追いついてしまい、手持ちぶたさの旦那に、 「すみませんが、ちょっと私のカメラでシャッターを切ってもらえませんか?」 「イエス、いいですよ」 「タワー・ブリッジをバックに入れて下さい」 「ええ、もちろん入れますよ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・ |
もうすぐ先にロンド・ブリッジが見える。その手前で案内版を見つけ左の建物に入る。高いガラス張りのドームになっており両側のビルに挟まれた広場である。
そしてその広場の中央には見上げるような、とても大きなメカニックな彫刻が動いている。その足元には屋台の土産物店が見える。 私は日本に帰ってから、この一帯はテムズ川のかつての埠頭で19世紀にはロンドンで取引された紅茶や食料品が荷揚げされ,倉庫が立ち並んでいた地域だと知った。 そしてこのエリアがヘイズ・ガレリアと呼ばれ、大きな彫刻はD.ケンプの作品で「ナビゲーター」と名付けられていることも。』 |