調布時代
 1962−1963

大学を卒業して新宿の紀伊国屋書店に就職。
住まいを西武線から新宿に近い京王線の国領
に移す。この春には弟が早稲田に入り上京した
ので新しいアパートに同居した。 

                                    
                                            
1962年葛I伊国屋書店に入社。新人6,7名で都下
秋川渓谷へのハイキングに参加。ランチの支度。
同期に早稲田の英文と東洋史の卒業生がいた。
1962年新宿、建築中の紀伊国屋書店本社
ビルの工事現場。当時新宿には風月堂と言う
バッハの宗教音楽などを流しているチョッと変
った喫茶店があった。私は一時期入りびたって
いた。三國連太郎がいたリ若かった赤瀬川原平
(尾辻克彦)などがいた。





当時の私の配属先は洋書部地方販売課と言った。丁度全国に洋書の販売網
を広げている時代。全国の営業所長を集めて所長会議が開催された。
これは入社した年の冬湯河原での懇親会。懐かしい顔触れで現役は前列右か
ら2人目の松原常務(現会長)のみ。


                                                                            
1962年熱海来の宮ホテル。
前列吉枝営業所支配人,のちの副社長。
 1963年高崎経済大学図書館にて。当時群馬県
 内の大学、企業を担当していた。
1963年1月地方販売課の懇親旅行。
私の送別会も兼ねていたか。
箱根塔ノ沢にて。
1年ほどの間に結構
近隣の温泉地の旅が多かった。
1963年2月東京駅。京都へ赴任のため神戸行き
夜行に見送りの先輩,同僚それに学友達。

この頃はまだ新幹線はなく京都まで8時間の夜行
寝台の時代。都落ちと言う意識はなかった。


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