京都・松ヶ崎時代 
 19631968

    伊国屋書店入社一年を待たず京都営業所への転勤が決まった。
      夜行寝台で早朝に着いた京都、プラットフォームから目にした東山
   三十六峰は薄っすらと雪を冠っていた。


                                   

                                      
 京都の住まいは左京区松ヶ崎。2階のアパートには向いの部屋に確か
 同志社の大学院生がいた。市電を降りて5,6分の距離。近くには京都工芸繊
 維大学があった。

 私が京都に赴任した当時は関西に本を置いた紀伊国屋書店はなかった。
 大学や企業の図書館や研究室に 洋書を販売する営業所のみの時代。東京
 でこそ有名な 書店ではあったが関西では紀伊国屋といえば― みかんの問
 屋さんですかと本気とも冗談とも取れる反応をみ せる人もいた。担当してい
 た京大理学部に近い北白川 の銀閣寺銀沙灘の前。1964年5月。


 京都に来てすぐ吉田近衛町の営業所に近い河道屋での歓迎会。
 庭を眺めながら食べた芳香炉はまさに京の味だった。上品な薄味。
 汁物、鍋物は京都ならこその味。写真は1964年4月 南禅寺の湯豆腐。
 京都では言葉にも苦労した。京都弁はすぐには話せない。

 1964年夏休みで郷里へ帰省中の一こま。 この頃には既に母を亡くし母屋
 の家屋敷は処分されており離れで生活していた。
 
 1965年1月名神高速、彦根インターチェンジ。同僚と滋賀県方面
 への車で出張中。京都に来て最初の仕事は車の免許をとることだった。

 1965年10月、岡山県、鷲羽山にて。関西の営業所合同旅行。
  京都ー>岡山・奥津温泉ー>鷲羽山ー>倉敷。


         
 私は最初京大の自然系、主に理学部、工学部を担当した。小さな京都のオフィスにも
          毎日のように欧米の大手学術出版社から幾つもの小包が着いた。それは各部門の
          トップレベルの学者の新刊書である。私は即日開梱して京大の研究室に「見計らい」
          として届けた。例えばChemistry関係の新刊とすれば京大化学教室の何講座に持っ
          て行くのがベストか。当時有機化学、無機化学はもちろん放射線化学とか分析化学
           とか10近い専門講座に分かれていた。基本的な語学と担当分野の知識が求められた。




1966年1月伏見。京都・大阪合同草野球チーム。同業の関西洋書輸入業者
或いは大学職員のチームなどと対抗試合をしていた。

                                       
1965年 滋賀県彦根城。 1964年6月 京都・大阪営業所合同のドライブ
旅行。淡路島へ向う明石市にて。
1965年8月 長野県白馬のケーブルで兎平
へ。アルペンリフトで黒菱台へ。その後30分
歩いて第1ケルンへ。
1965年2月東京出張中。旧友の高張・小林と再会。
都内の小林君宅。
 1966年10月 滋賀県比良山系の登山。武奈岳山頂。   1965年4月 京都・大阪・岡山・広島・福岡の5営業所合同
旅行。京都ー>神戸ー>松山・道後温泉ー>広島ー>京都。
写真は愛媛県の松山城にて。京都に来たことで今まであま
り馴染みのない地方に行く機会が増えた。


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