エヴォラを訪ねる |
2003年10月 |
10月29日(水曜日)午前中リスボン西端のジェロ
ニモス修道院を訪れ、ランチの後1時過ぎエヴォラ に向かう。リスボンから東へ1時間以上ノンストップ で2時20分エヴォラに到着した。 街は城壁で囲まれていた。多分この壁の内側が 世界遺産に指定されているエヴォラ歴史地区で あろう。バスを降りると最初に訪れたのはサンフ ランシスコ教会。 教会の正面奥の祭壇には白面の磔刑のキリスト 像。その下には3段、4段とまるで東洋の天女の 舞かと思わせる色鮮やかな女人像。そして周り は全て金色で彩られている。 祭壇の向かい、我々が立つ後は高い天井の空 間で10メートルも越す小さな梯子車のような機 械が稼動していた。よく見ると天井の何ヶ所かに 亀裂が入っているのが下からでも見える。修復 の工事中である。 |
(人骨堂の天井壁画)
実はこのサンフランシスコ教会は一つ 有名な礼拝堂がある。事前調査が不 充分な私は添乗員の説明で初めて知 った人骨堂。別棟になっており希望者 だけ入場料1ユーロを払って案内され る。 何人かの人々は入らなかったが私は 丁度1ユーロの硬貨があったので付い て行った。さして広くない礼拝堂ではあ るが青白い照明がチョッと不気味な空 間を演出していた。 実はこのサンフランシスコ教会は一つ 有名な礼拝堂がある。事前調査が不 充分な私は添乗員の説明で初めて知 った人骨堂。別棟になっており希望者 だけ入場料1ユーロを払って案内され る。 何人かの人々は入らなかったが私は 丁度1ユーロの硬貨があったので付い て行った。さして広くない礼拝堂ではあ るが青白い照明がチョッと不気味な空 間を演出していた。 |
(ジラルド広場)
正面こそ祭壇があったが左右の壁面は人骨の サンフランシスコ教会の後、ツアー一行はエヴ |
(ジラルド広場で休む老人)
我々のツアーもここで一旦自由行動に なった。皆しばらくの時間を思い思いに 散って行った。 このエヴォラには大学もあり若者達も多 く見かけた。世界遺産の街も決して時間 が止まっている訳ではない。静かな鼓動 が感じられた。 |
(ジラルド広場の地元の若者達)
30分ほどの短い時間であったが私は 被写体を求めて広場から細い路地を 一人歩いた。どの道も古い石畳でゴツ ゴツしていた。そんな小道を地元の人 々は器用に何食わぬ顔で歩いていた。 |
(4月25日通りのお土産店)
フリータイムの後はエヴォラのもう一つの寺院 エヴォラ大聖堂へ向かった。もちろんすぐ近く で我々は皆歩いた。12世紀から13世紀にかけ て建造された大聖堂である。 16世紀の1584年にはその2年前に日本を出発 した天正遣欧使節の少年4人がこのエヴォラ大 聖堂にも訪れている。教会のパイプオルガンを 弾いて喝采を浴びたと伝えられている。 九州のキリシタン大名が派遣した13歳の少年 達がローマ教皇に謁見した時には16歳になっ ていた。 |
(エヴォラ大聖堂)
ローマ時代の遺跡として現存するディア ナ神殿はエヴォラ大聖堂からすぐの場所 にあった。土台は補強されていると言う がよく倒れないで2000年の時に耐えた と思わせる。 近くで見ても決して大きくはなく今にも 上の石が落ちてきそうな風情ではある。 |
ディアナ神殿の裏に出ると眼下にはエ ヴォラの街が開けていた。赤い屋根の 白い家が立ち並ぶ。教会への石畳の街 並とは違って新しいエリアか。世界遺産 の歴史地区の城壁の外になるエリアで あろう。 |
(エヴォラ市内の住宅地)
夕刻未だ日の或るうちにホテルにチェック インした。添乗員の話ではエヴォラでは一 番のホテル Cartuxa (カルトリーシャ) と言う。部屋に入ってテレビを付けると最初 の画面には Welcome Mr.Maki と歓迎の コメントが入っていた。なかなか心憎い演 出。 私の部屋を覗いた向かいの二人はドアを 開けて小さな個室、そして更にドアを開け るとスリーベッドの部屋の広さに、そして 別室のバスには洗面が二つもあると驚い ていた。私は後から連れの彼女が来るから とジョークで応えたが。 |
(ホテルの自室)
別の夫妻は私達の部屋は小さな椅子が一 朝散歩したホテルの裏の庭も気にいった。 |
(ホテル・カルトリーシャの玄関)
しかし昨晩のホテルでの夕食はフォアグラ パテサラダにメインはダックの炊き込みご 飯。はっきり言って不味い。そう言えば昨 日のリスボンでのランチ干しだらの卵とじ 炒めも残していた。 私は戦後の厳しい日本の食生活を生きて きた世代であり食に奢る傲慢さはないが、 これからしばらくのポルトガル滞在が心配 だ。イギリスではないが幾つかの単品をチ ョイスできる朝食のビュフェ・スタイルの方 がまだましだ。 |
(ホテルの裏庭にて)