ロカ岬 |
2003年11月 |
11月2日(日曜日)今日はポルトガル最後
の日になる。1日の予定は午前中がリスボ
ンから40キロほど西のロカ岬そして少し東
に戻ってシントラ王宮へ。ランチ後は自由
時間、夜は皆でリスボン市内にファドを聞
きに行く。
朝8時40分ホテルを出発する。今日の天気
はマアマア何とか持つかと言った感じ。1時
間とかからず9時半にはロカ岬に到着した。
ヨ−ロッパ大陸の西の端で大西洋に突き
出した岬は140メートルの断崖になっている。
(詩人カモンイスの石碑が立つ)
強風が吹き荒れると言う先入観があった だけにこの日は拍子抜けするほど穏やか だった。 その上寒さもなく11月である事 を忘れるほど。 しかし岬の眼下を見ると白い荒波が打ち 寄せる。先に広がる大西洋は視界180 度、遮るものは何一つない。何百年も何 千年も変わらぬ風景がそこにあった。 かつてポルトガルの冒険家達はこの果 てしなく広がる海の先に島を求めて船を 漕ぎ出した。この岬の石碑に刻まれた ポルトガルの詩人カモンイスの詩の一 節は 『ここに陸地果て、海が始まる』 とある。 |
(最西端到達証明書)
ポルトガルの行く先々で何度か見掛けていた
日本のJTBのツアーの一行、今朝は又この
ロカ岬でも顔を会わせた。私達のツアーより
倍近い40何人と言うグループ。
ロカ岬では皆競って写真を撮りあう。しかしい
つも一人で行動している私にはチョッとシャッ
ターを頼める人が近くにいない。たまたま一人
撮っていたJTBのツアーの一人に声をかける。
快くシャッターを切ってくれたおじさんに私も撮
りますよとポーズを求める。
(ロカ岬に立つ私)
シントラ宮 |
2003年11月 |
10時前にはロカ岬を発ち東に向けて
40分ほど走る。箱根の坂道ほどでは
ないがバスはくねくねと森の中の道を
上る。この一帯は500メートルほどの
シントラ山系になっている。
14世紀後半エンリケ航海王子の父
ジョアン一世がこの地に王宮を造った
のが始まり。代々王家の夏の離宮と
して使われ現在は世界遺産に指定さ
れている。
(Palácio Nacional de Sintra シントラ宮)
シントラ王宮の中はガイドが付いて各部 屋を順次見て回ったが写真撮影が一切禁 止されており残念であった。特別豪華絢 爛と言った造りではなく比較的質素で実 質的な印象を受けた。 特に興味深かったのは大広間の台所。豚 などを串刺しにして焼く大掛かりな道具 や、王宮を外から見ると奇妙な白い円錐 形の二本の塔が実はこの台所の排煙口 だった。 |
(シントラの街の風景)
10時半ころから11時20分過ぎまでシントラ
王宮の中を階段を上り下りしてみて回る。そ
の後は王宮を出て12時まではこの一帯を自
由行動になる。女の人達はガイドの案内で地
元の宝飾店に出かけた。
私はシントラ宮の前の通りを左に歩く。特に何
があると言う訳ではない。レストランや土産店
が軒を連ねている。もちろん写真を撮るのが
目的だが。
狭い道をたくさんの観光客が行き交う。更に山
を上るとペナ宮殿があるが歩いて行く距離で
はないようだ。我々のリスボンのホテルの近く
ロッシオ駅から汽車でこのシントラ宮までは
45分ほどで来られると言う。
(路上のカフェ)
脇道の坂を上るとこんな所にもやはり 小さな土産店やレストランがある。と思 えば同じ並びには崩れそうなアパート があったりする。 それでいて私と同様物珍しく観光客は 何処へでも入ってくる。 私もあちこち と覗きながらシャッターを切っていた。 12時には皆バスに集合してリスボン市 内へ戻る。明朝はとても早い時間にホ テルを発って、来たとき同様に一旦パリ へ向かう予定。 |
11月3日(月曜日)の帰国の朝は早かった。
モーニング・コールは4時半。スーツケース
は5時には回収。ホテル出発は5時40分。
もちろん未だ真っ暗な時間。来る時と同様
パリでの乗り継ぎがあるのでリスボン発パ
リ行きは7時40分。
パリには11時過ぎに到着。成田へのフライト
午後1時15分で2時間程の時間がありシャル
ル・ド・ゴール空港ではチェックインの後お土産
を買う時間が出来た。
(シャルル・ド・ゴール空港待合室)