ポルトガルの旅       PORTUGAL               

                                                  English Version

     
  2003年10月
                               
インターネットのフリー百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)リスボンの項目
にリンクされていた。そのため例えば2007年8月このページを訪ねた224名の
うち67%の方がウイキぺディアからであった。しかし最近リンクされた時と同様
何の連絡もなく解除された。                  2008年4月   
   


10月28日(火曜日)『ポルトガル大周遊8日間』
と言うツアーに参加した。ヨーロッパの晩秋の旅は
初めてで、果たしてどんな服装で行けばいいのか。
  
暖流の流れる大西洋に面したポルトガルは内陸の 
フランスやドイツほ どは寒くない。しかし夏と違っ
て10月以降は雨量が増える。事実ポルトガル各地
で雨にみまわれた。







 Lisboa 2,3
 Évora
 Buçaco     
 Porto
 Aveiro
 Coimbra
 Fátima・  Batalha  
 Nazaré
 Óbidos
 Santacruz
 Cabo da Roca・ 
 Sintra


ポルトガル航空はあるが残念ながら成田には乗り入れていない。
今回のツアーはエールフランスでパリ経由になった。朝9.55発の
AFー279便。機種はボーイング777。

 















                                 (エール・フランスのパーサー)
 
         トイレに立って、最後尾で目の合ったパーサー
「今年のパリは寒そうですね?」
                        「ええ・・・このところパリの最低気温は零度ですよ。朝晩はとて                     
        も冷える」の返事。リスボンは大丈夫だろうか。
   

    
     およそ12時間後パリ着。パリは昨年の夏以来。しかし今回は広いシャルル・ド・ゴール空港内を急い  
     でリスボン行きに乗り継ぐ。午後3.45発。

     機種はAirbus A318.。3席が2列。777より3席が1列減ってかなり小ぶりになる。140人乗り位か。
     約2時間、夕刻の6時にはリスボン到着。成田を発って15時間強か。ただリスボン空港は市内中心か
     ら北へ6キロと言う近さ。リスボン市内北のホテルには7時前にチェックイン。 

     しかし先週末でサマータイムが終わっているはずがポルトガルは未だ継続中と判明。そのためパリとは
     1時間の時差が発生していた。実は添乗員も知らなかったがツアーメンバーの一人がこのホテルの時計
     はまだ6時と気付いた。
 


  10月29日(水曜日)、リスボンに着いた翌
  朝バスの出発までの早い時間ホテルの周
  辺を散策した。東京でインターネットで調べ
  た曇り雨の予報に反して眩しいほどの朝陽
  が射していた。初日のリスボンのホテルは
  市内北部にあった。

  ホテルを出て一筋先の太い道路に出ると
  チョッとイスラム風のドームの建物が目に
  入った。近くに寄って見ると工事中でこれ
  はポルトガルの闘牛場と気付いた。そし
  てそのすぐ前の道で奇しくも日本に遭遇
  した。それは禅のポスターであった。私は
  すかさずシャッターを切った。
                              (リスボン市内で見かけた禅のポスター)

    
バスは朝9時にホテルを出発。午前中はリスボン
市内観光。リスボン市自体が海の様に広いテージ
ョ川沿いの街。市内を南下して川岸に出ると一路
西に走る。最初の目的地は『べレンの塔』

16世紀初頭にテージョ川出入りの船を監視する為
に建てられた小さい城のような塔。1階は水牢、2階
は砲台で、3階は現在は博物館。我々は短い時間
で中までは入れずもっぱら外から写真を撮るばかり。
幸い天気はよくて大西洋につながるテージョ川を望む。

   



          ( Torre de Belén  べレンの塔)
                               

                                                                       
    
     そしてすぐ東にはリスボンと言えばよく目にする『発見のモニュメント』がある。15世紀前半ポル
     トガルの大航海時代の先駆者エンリケ航海王を記念して1960年に建てられた割と新しい
     建築。近くで見上げるモニュメントは巨大で朝の陽射しを受けて真っ白に輝いている。                   
               
     

このモニュメントの後ろ小高い丘にはやはりエ
  ンリケ王子ゆかりのジェロニモス修道院が見え
  る。かつての王子の礼拝堂跡に16世紀初め
  からほぼ1世紀かけて建造された。マヌエル1
  世がバスコ・ダ・ガマの大航海で得た巨万の富
富を注ぎ込んで作ったと言われる。事実寺院
  にはバスコ・ダ・ ガマ自身の石棺も安置され
  ていた。   

                     (Parão dos Descobrimentos  発見のモニュメント)
                     
    





 (Mosteiro dos Jerónimos  ジェロニモス修道院) 
    

  ジェロニモス修道院の後一旦バスに乗ったがすぐ  
  近くで下車。ポルトガルのお土産店でのショッピン
  グという。お決まりのブランド品店ではなくポルトガ
  ルのタイル絵・アズレージョを始めとする小品だっ
  たのが救い。

  しかし私はいつまでもそんな店に付き合ってはおれ
  ず、近くで見つけた熱帯植物園に一人で足を運んで
  いた。


   


      (熱帯植物園)
  



   

 
  初日のランチは都心に取って返し市内を見下ろす高台のレストラン
  Botequin do Rei で干ダラの卵とじ炒め。今回の我々ツアーメンバ
  ーは24人。そして添乗員は私にとっては初めての男性。それにポ
  ルトガル人のドライバー。       

  この高台からはエドゥアルド7世公園と市内が一望できる。先ほど
  の青空がチョッと霞んできたが幾何学模様の美しい緑の公園に降
  りて写真が撮れないのは残念である。     
    

 
   レストランからの帰り道、偶然昨日パリ
   からリスボンの飛行機で同席した中年
   の日本人親子にバッタリ出会った。ビジ
   ネスマンの彼は今回は仕事ではなく年
   のいった母親を連れてポルトガルを車
   で案内すると言っていた。今時珍しい
   孝行息子(?)

   午後からポルトガルから西のエヴォラに
   向かい、翌日からは一路北上、ポルト
   へ。   


 
  


















  (Parque Eduardo  VII  エドゥアルド7世公園)            

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