アンカレッジ 
1981


 


アラスカ州 Anchorage は実は観光は全くしたこと
はない。しかしトランジットとして寄ったのは10回
を越えるでしょう。初めて外国の地を踏んだのが
他ならぬアンカレッジ国際空港でした。それは初
めてロンドンへ出張した1978年の6月のこと。





   (Anchorage Airport 1978)

 

  次は1980年、やはりロンドンへの出張のトラ
  ンジット。当時は成田からアンカレッジまで約8
  時間。給油の為1時間の小休止で空港免税店
  で過ごす。その後は更にに8時間北極上空を
  飛び続ける。今よりおよそ4時間も長いフライト。



                                     (Anchorage Airport 1980)


  


  翌1981年6月14日(日曜日)には初めてのアメリカ出張で
  成田を発つ。最初の行き先はニューヨーク。しかし夜11時半
  JALはなかなか搭乗のコールがない。しばらくしてエンジン不
  調と言うことで
  「今しばらくお待ちください」
  更に遅れると アンカレッジ空港の名物“うどん”のチケットが
  配られた。
  しかし深夜2時過ぎ、エンジン修理のパーツは成田から調達す
  るのでニューヨークへの出発は明日と決定。
 
  トランジットの筈がアンカレッジで初めての米国入国となった。
  80年代は短期の出張、観光でもアメリカはVISAが必要とさ
  れた。




  (Anchorage Airport 1981)
  

  アンカレッジの入国審査はスムーズに   
  いったが、全く予想外にも通関で手間           
  取った。スーツケースをその場で全部
  開けて調べられた。ヨーロッパの出張
  では全く経験しないことだった。もちろ
  ん不都合なものを発見される怖れは
  なかったが。
  
  やっと全員入国手続きを終えると、こ
  れからアンカレッジのホテルへ案内す
  ると言う。迎に来た黄色いバスのヘッド
  には何と”School"と表示されていた。
  我々一行スクール・バスで深夜のアン
  カレッジ市内へ向かう。宿舎は17階建
  てのホテル・キャプテンクックだった。
  
                                        (Dawn of Alaska,Morning 4 o'clock)

                                 
   ホテルに着いたのは3時。とりあえず風呂
   に入る。今後のスケジュール調整が必要。
   しかも朝のフライト時間、ホテル出発の時
   間さえ不明。

   私はベッドに入ってホテルの窓からアラス
   カの地の日の出を見ていた。既に4時であ
   る。それから2、3時間ウトウトしただろう
   か。初めてのニューヨークの出張のことを
   考えるともちろんゆっくり寝てもいられない。
   
   



      (The Mountains in Alaska from My Room)                                           
     6月15日朝出発の時間までホテルを出て
     辺りを歩いてみた。少し歩くとすぐ海が見え
     た。

     午前中にはホテルを発ったが結局ニューヨ
     ークへは午後1時のJAL006便に乗った。
     アンカレッジとニューヨークは同じアメリカ国
     内と言っても時差は実に5時間ある。一体
     NY 時間の何時に着くのか。

     結局初のNY ケネディ国際空港には深夜
     の1時に到着した。                           
      



                                          (Hotel Captain Cock)
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