ニューヨークの旅 1981年6月 (1) |
初めてのアメリカ出張はスタートから躓いた。6月14 日(日曜日)早い時間にニューヨーク入りできる予定 がエンジン・トラブルで思わぬアンカレッジでの一泊。 ケネディ空港には深夜、正確には翌15日(月曜日) 午前1時になっていた。ほぼ15時間の遅れ。 もちろんNY駐在の馬上君がケネディ空港への出迎 えは期待できない。当時もNYは危険な街というイメ ージが強く、私自身も初めてのNYにヨーロッパより は緊張感を持っていた。 |
(Mr.Moue & Maki at K co.NY Office)
入国手続きは既にアンカレッジで済んでいた
ので私は空港へ着くなりタクシー乗り場へ急
行した。私は大男の黒人ドライバーにレキシ
ントン・アヴィニューのホテルサミットへと告げ
る。
タクシーは深夜のNYをマンハッタンへ走った。 途中明らかに道をそれて脇道へ入った時は 正直緊張した。それが給油のためと判った時 にはホッとした。こんな形で初めてのNY入りは 予想外の事態だった。 ホテル迄は3,40分かかっただろうか。タクシー のメーターは$22.50だった。ぼられてはい ないと判って$2.50のチップとしてドライバー には$25.00を払った。彼は元気にサンキュ ーと応えた。 |
(Grand Central Station)
ホテルには2時前でロビーでは椅子を 上げて清掃の最中だった。ホテルに事 前の連絡が出来ておらずキャンセル扱 いになっていた。しかし空き部屋はあっ て宿泊に支障はなかった。早速8階の 部屋に上がる。 この日以降サンフランシスコへの移動 まで10日ほど泊まることになる。毎晩 ひっきりなしに聞こえる救急車のサイ レンの音は気になった。しかし日が経 つうちにこれがNYの日常かとなじんで いた。その間もワシントンやフィラデル フィアへ日帰り出張を続けた。 |
(Near Central Park)
6月15日(月曜日)は昼にサード・アヴィ ニューの社のNY オフィスへ。このオフィ スは既に1972年にスタートしていた。 一方NY Storeは丁度この年ロックフェラ ー・センターの一等地に出店する。 オフィスでは旧知の塩野支配人、馬上君 と再会。私の滞米中のスケジュールの確 認。アポの入っている47丁目のASME アメリカ機械工学会には早速出かける Assistant General Manager の馬上 誠介君の案内でディレクターのMr.William Repp に面談。 丁度一年前にNYに送り出していた若い 彼とは滞在中ほとんど行動を共にした。 |
(Times Square)
翌6月16日(火曜日)ワシントンへ出張。メリーランド 州のシルバー・スプリングへ。17日(水曜日)NY 市 内の出版社訪問に当てる。18日(木曜日)はニュージ ャージ州のハイツタウンへ出張。翌19日(金曜日)は ニューヨーク州のウッドベリーへ。そしてNY 初の週末 を迎えるというスケジュール |
。
私の出張の意図はアメリカの主要出版社、学会事務局 との円滑な輸入業務の推進、トラブルの解決。新しい学 術文献の企画情報入手。そしてごく一部に対しては日 本での exclusive agent権獲得の打診交渉という密か な目的があった。 |
(A Driver of a Carriage)
17日(水曜日)はHuman Sciences Press の社長・ シェルダン・ローエン博士に面談。日本のマーケットで の積極的な展開には期待をもっていた。私はこの時 が初対面であったが、やりてのビジネスマンというより かソフトな話振りはまさにドクターであった。 |
午後には三番街の米国大手の学術出版社John Wiley本社に学術雑誌部門のマネージャ ー・アスティディロ氏を訪ねた。翌18日(木曜)にはバスで1時間半かけてNJ州ハイツタウン へ出張。アメリカでも大手の出版社 McGraw-Hill Publication 社の雑誌部門担当役員 エルシンガー氏を訪ねる。他にもBusiness Weekの担当部長ペーターソン氏ら4名のスタッフ が同席して昼は社内で和やかな会食となった。 |
19日(金曜日)はNY市内東45丁目のAIPアメリカ物理学 会へ行く。しかし業務の主体は既にNY州のWoodburyに 移っていた。学会の連絡便とも言うライトバンで1時間余走 り続けて緑豊かな地方都市にガラス張りの綺麗なオフィス がある。雑誌部門のマネジャー、ジョン・ディカーロ氏に面 談。米国の主要取引先で彼とはいつもレターやテレックス のやりとりはしていたが会うのは初めてだった。 NYへの帰りの車で会長のウイリアム・コッチ博士と同席出 来たのは幸運だった。私の 「アメリカには初めて来ました」 「それは驚いた。英語は何処で覚えたの?」 と私の拙い英語を誉めてくれ、これから先のAgent交渉の スタートになった。 |