フィラデルフィアの旅 
 
    1982年6月



 


  6月17日(木曜日)夕刻にはボルティモアからアム
  トラックで1時間余でフィラデルフィア市に入る。
  駅からはタクシーで$4.00ほどでホテルに着い
  ていた。フィラデルフィアでは由緒あるホテルと聞
  いている。夜はルーム・サービスでゆっくり食事。

    (Left:The Hotel spent 2 nights. Front:City Hall)

        






  

   6月18日(金曜日)には午前中にBIOSIS 
   BioSciences Information Service 
   Biological Abstracts (生物科学情報サー
   ビス)を訪ねる。昨年サンフランシスコで
   の販売会議で会っているディレクターの
   Arthur Elias氏とNancy に再会する。
   Ms.Elenor Davis は初対面だった。
  

                         (From left;Ms.Davis & Ms.N.Vaupel)

   


  
午後には丁度1年前に訪ねているISI Institute
  for Scientific Information
を訪問。Direct Mar-
  keting & Communication 担当副社長 Thomas 
  DiRenzo氏と Dictionary Development Projectsの
  マネージャー James Shea氏に面談。


  夕刻ISIを出ると馬上君はその足で自宅のニューヨーク
  へ戻る。私は市内のホテルへ戻った。私はこの時泊ま
  ったホテルの名前を残念ながら覚えていない。しかしこ
  のホテルの店でたまたま買った自分用の財布は未だに
  使っている。

    (Ms.Vaupel & Maki)

                                  

 
  値段の記憶はないがサイズがあまり大き
  すぎなく丁度Yシャツのポケットにも入る
  のが良い。Sに○のマークが何処のメー
  カーかは知らない。未だにFrench Calf 
  と Made in England の金文字が鮮や
  かである。

  翌6月19日(土曜日)早朝、若い白人ポ
  ーターについて広く長いホテルの廊下を
  歩いていた。フィラデルフィアの空港では
  20人乗り位のプロペラ機、RZ959便8時
  発でニューヨークのケネディ空港に向か
  った。                                  



           










                             
(Philadelphia Street.The Right is City Hall)


     ニューヨークからはJAL005便12時40分発。帰りのアンカレッジ空港ではトラブル
     なく、翌6月20日(日曜日)夕刻5時過ぎ2週間ぶりの成田に到着。あすからは又
     忙しい日本でのビジネスが待っている。                                   

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