1983 Philadelphia (2) |
1982 Philadelphia |
1981 Philadelphia |
フィラデルフィアの旅 1983年5月 (1) |
5月24日(火曜日)の夕刻ニューヨークから
アムトラックでやはり1年ぶりでフィラデルフ
ィア駅に到着する。
ホテルはBIOCIS(生物科学情報センター)
が手配してくれている街中の The Palace
Hotel。 一昨年のサンフランシスコでの会議
に続き今年はBIOCISの本拠地での初の会議。
(From left: Maki,Mr.Masaki & Mr.Ohkubo
at BIOCIS)
翌5月25日(水曜日)宿舎のパレス・ホテルでは日 本エージェントの4社代表が顔を揃えて朝食。 アーク・ストリートのBIOCISへタクシーで向かう。 BIOCISは新築の立派な9階建てのビル。 今日から二日間の販売会議。昨年は東京で開催 しているが今年の会議はアメリカ側が当番である |
(Miss
N.Vaupel,Mr.A.Elias & Mr.Masaki)
9階の広間の会議室では9時から日米合同販
売会議がスタート。冒頭 BIOCIS Directorの
Mr.Elias から歓迎の挨拶があった。それを受
けて日本側もスピーチを指名された。
突然のことで私は内心狼狽しながら何食わぬ
顔で立ち上がり、新社屋で迎える合同会議の
成功を期待していること。フィラデルフィアへは
今回で3度目の訪問になるが、週末があるの
で初めてこの歴史的なご当地の観光が出来る
喜びを率直に話した。最初で最後の英語のス
ピーチだった。
(Lunch invited by BIOCIS at a Hotel)
BIOCIS のMR.Elias はもう長い付き合いだった。
日本側の4社のメンバーが変わることがあっても
ディレクターの彼は毎年東京での会議にも参加
していた。変わらぬ髭面で結構愛嬌もあった。
我々は「Elias は日本語ではエライアス(偉い
奴)で Great Man を意味すると言っては持ち
上げた。ちなみに彼はユダヤ人だった。
翌5月26日(木曜日)2日目の会議が終了して初
のメジャーリーグ観戦と言う楽しみが待っていた。
ここはフィラデルフィア・フィリーズのホームグラ
ンド。しかし夕方から振り出した雨は無情にも上が
らず美しくかつデカイ、フィリーズのスタジアムでは
遂に試合は見られなかった。
(At Stadium)
翌5月27日(金曜日)午前中には各社の代表と |