ボルチモアの旅 
     1982年6月


   


6月16日(水曜日) AGUアメリカ地球物理協会から
戻ると午後にはワシントン市内ユニオン駅へ出た。ア
ムトラックに乗っておよそ50分でボルチモア市へ。当
時$8.80であった。

ボルティモアは人口73万のメリーランド州第1の都会
である。全米でも12位の都会であると言う。今晩のホ
テルBoltimore Hilton は降りた駅のすぐ前にあった。




(Scenery in Boltimore)




                                      

  
   このホテルにチェックインした時には当時の日本
   にはなかったカードのキーを渡された。とてもス
   マートに見えた。ホテルで一休みするとニューヨ
   ークに住んでいる馬上君も初めてのボルティモ
   アの街に出た。

   そう言えばボルティモアと言えばあのべーブ・
   ルースの生まれ故郷だ。街には記念の何か
   あるだろうか? 道行く黒人に声をかけて聞い
   てみる。どうも要領を得ない、まさかべーブ・
   ルースの名前を知らないアメリカ人はいない
   だろうが。
   

   





                                    (Edgar Allan Poe's Grave)
    


  子供の頃江戸川乱歩の小説は結構読んでいるが
  本家のエドガ-・ア・ランポーの本はほとんど読んで
  いない。「アッシャー家の崩壊」すら。

  べーブ・ルースの生家が博物館になっていることは
  知らなかったが、ウエストミンスター教会の敷地に
  ポーの墓地を発見することが出来た。



(Mr.Seisuke Moue in Boltimore)





     

 
  工業都市と言われるボルチモアの街は何か薄汚く、黒
  人が目立った。私自身の偏見か。あちこち歩く気には
  ならなかった。その点冷房の効いた快適なホテル。部
  屋もきれいでヒルトンの中はボルチモアの空気とは別
  世界の感がある。夜も外へ出てレストランへ行く気にな
  らずルームサービスでサーロイン・ステーキを頼む。

  翌6月17日(木曜日)The Johns Hopkins Univ- 
  ersity Press
を訪ねる。ジョン・ホプキンズ大学は
  医学部がとりわけ有名で医学系には良いジャーナルが
  ある。我々は Journal Promotion のMs.Peggy Jarvis
  に会った。

  午後にはまたアムトラックに乗って遠く異国の地、アメリ
  カ東海岸を更に北上する。さすらいの旅人ならぬ、さす
  らいのビジネスマン。出張の疲れが溜まってきた。フィ
  ラデルフィアまでのチケットは$18.65だった。
  

                         

















   

                                          (A Street of Boltimore)

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