ドゥブロヴニクを訪ねる (1) |
2011年3月 |
ツア―4日目,3月17日(木曜)夜。7時にボスニアのネウムのレスト
ランを出発。45分ほどでドゥブロヴニク近郊のホテルに到着。
ガラス張りの斬新な建物。
5日目。3月18日朝自室カーテンを開けるとアドリ
ア海が開ける。景色に感心している矢先添乗員から
帰りのフライト・スケジュール変更の至急電話入る。
3日後の帰国便が昼から夜9時発になりインチョン
経由成田着と言う。朝9時過ぎが夜の7時半着となる。
成田でホテル手配の提案あり。
ベランダへ出ると更に素晴らしい。ただ天気が優れない。
家に電話を入れるとやっと今日から水道が使えるよう
なったと言う。しかし市内ではまだ地域によって断水は
続いており,ガスが使えない家も。帰国日成田泊まりの
可能性伝える。
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レストランの朝。展望は見事だがやはり曇天。気分は 晴れない。この時は情報少なくインチョン経由はひょっと してKorean Airの南回りかと心配した。 |
8時過ぎ早くバスに来ると運転手一人。いつもどれ位 飛ばしているか聞くとバスはマックス100キロと言う。 セダンは130キロだがトラックは80キロまでと言う。 9時過ぎドゥブロヴニク着。早速ロープウエーでスルジ 山に上る。 |
ドゥブロヴニックの旧市街が展望される。 | |
このロープウエーは旧ユーゴスラヴィア内戦で 破壊され昨年までは使えなかったと言う。その点 我々はラッキーではある。 |
城壁もアップで捉える。 |
アドリア海と城壁の見事なコントラスト。世界遺産にふさわしい
景観。ここ数年日本のフアンが増えているのは頷ける。
右も旧港 Stara luka の光景。この小さな港も
かつては世界各地を結ぶ交易船が沢山出入りした。
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突き当たりはフランシスコ会修道院か。 | |
ルジャ広場に面したスポンザ宮殿。16世紀の建造 で17世紀の大地震で被害を受けなかった数少ない 建物と言う。 |
城壁内の唯一のルジャ広場。 |
野菜や果物の青空市場の賑わい。 | ドライ・フードにはやはり無花果を売っていた。 こちらの名物か。 |