ヘルシンキを訪ねる (2) |
7月18日(月曜日)、4日ぶりにヘルシンキへ戻ってきた。行きは船でエストニアに
渡ったが、帰りはロシアのサンクト・ぺテルブルクから汽車の旅。
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こちらはヘルシンキの2階建て特急列車。ロシアの 列車よりスマートに見える。 |
我々が乗ってきたロシアの列車レーピン号の前で。 |
サンクト・ぺテルブルクを発って約5.5時間、 やっとヘルシンキ駅に入った。丁度昼の12時 半になる。市内へバスで向かった先は中華レ ストラン「香港」。7,8品と次々現れたエビチリ も焼きそばも美味しくいただけた。タリンやぺ テルブルクで食べたどんな料理よりも食欲が 湧いた。 |
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中華レストラン Hong Kongでランチ。 | |
ランチを済ますと午後からはいよいよ市内のヘル シンキ観光に出発。バスが戻る間に最初の訪問 地ヘルシンキ・オリンピック競技場には歩いてす ぐだった。 1952年の第15回大会、戦後初めて日本が参 加した記念すべき大会の場である。ブランクの長 い日本はレスリング、水泳、体操で幾つかのメタル を取っている。ヒーローは5千、1万、マラソンと完 全優勝のチェコスロバキアのザトペック選手だっ た。当時人間機関車と言われたことを覚えている。 |
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都心からは少し離れたシベリウス公園。フィンラン ドの代表的な作曲家シベリウスを記念して40年 ほど前に作られた公園。モニュメントはパイプオル ガンのイメージだろうか。 |
シベリウス自身の肖像も訪問者の被写体になっている。 この公園を少し下るとすぐ前には広い海が広がっていた。 |
バスが都心に戻る途中に訪れたテンぺリアウキオ 教会。そのエントランスに立ってここが教会とは誰 も思わない。 |
岩をくり貫いたようにして作られたルーテル派のれっきとし た教会。正面はパイプオルガンである。1969年に完成と 言う新しい時代のロックチャーチ。コンサートが開催される こともあると言う。音響効果が良いらしい。 |
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バスがヘルシンキの中心部に入って訪ねたのが高 台の赤いレンガ作りのウスペンスキー寺院。1860 年に建てられた北欧一のロシア正教会。フィンラン ドが1917年に独立を果たすまでの約百年間のロ シア支配時代の産物と言える。 |
教会内部の壁面にはキリストを中心に12使途がテンペ ラ画で描かれている。サンクト・ぺテルブルクで訪ねたロ シア正教会同様に煌びやかな絵画、装飾が際立っている。 |
ヘルシンキ大聖堂。白亜のこの建物は言わば ヘルシンキの象徴ともいえる。ロシア帝政時代 の1852年に建造されているがルーテル派の本 山である。市民も観光客も高い階段をのぼる。 大聖堂前の広場の左右にはヘルシンキ市庁舎 とヘルシンキ大学の図書館や教室がある。 この眩しい程の外観の聖堂は一旦中に入ると 極めてシンプルなつくりだった。ロシア正教の金 色に彩られたウスペンスキー寺院とは対照的で ある。唯一パイプオルガンが目立った。また上の 方に突き出た牧師の説教台が印象的だった。 |
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ヘルシンキ大聖堂を横から見る。 白亜の聖堂に強い日が眩しいほど。 |
上り詰めた階段の上から元老院広場を眼下に見る。 中央の立像は支配時代のロシア皇帝アレクサンド ル2世である。フィンランド独立後も残されているこ の彫刻は彼の功績にフィンランド国民が一定の評 価を与えている為だと聞く。 |
私はそんな屋台の一つでバイキングの可愛い人形を 二つ買った。最初に見ていた皮製品の店ではカジュア ルなバッグが気になっていた。帰りにもう一度寄るとも う店仕舞いで車に品物を積み込んでいた。店主の彼女 に声をかけると 「明日は10時から又同じ場所で店を出していますよ」 「そう、じゃーまた明日寄ります」 |
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今日最後の訪問地は港に面したマーケット広場。 30分ほどの自由時間になりツアーの人々も皆思い 思いに散った。野菜や果物の屋台の他にフィンラン ド土産の店も多い。 |