サンクトぺテルブルグを訪ねる (2)

2. 観光名所
                                     
 昨晩ロシアに着いて今朝の出発は9時。
 実はホテル・モスクワ前の広い道路の
 向かいはアレクサンドル・ネフスキー修
 道院。そのチフヴィンスキー墓地にはあ
 のドストイエフスキーの墓がある。今回
 のツアーにはフリータイムは一切ないの
 で今朝7時過ぎには一人ホテルを出た。
 しかし私が考えていた墓地公園ではな
 く門は閉ざされたいた。日中有料で公開
 している様子。この早い時間には無理だ
      った。                  
                  
 サンクトぺテルブルグは1703年にピョー
 トル大帝が西欧への窓口として創った
 街である。開都300年で現在の人口は
 500万人。モスクワに次ぐロシア第2の
 都会。
午前中は市内の観光名所をバス
 で走る。
午後にはぺテルブルグのハイラ
 イト、エルミタージュ
美術館の見学である。
 市内のメイン・ストリートであるネフスキー大通りに
 面して建つカザン聖堂。19世紀の始めに完成して
 いる。丁度ロシアがナポレオン戦争に勝利した時代。
   
 バスを最初に下車したのはこのロストラの燈台
 柱のある場所。土産物の屋台が並び、又一緒
 に写真を撮ってお金を貰う時代物の服装をした
 人達が何人かいて観光客に声をかけていた。
 この燈台柱のあるワシリー島のストレルカ岬
 からネヴァ川越しに対岸はペトロパヴロフスク
 要塞。中央の高い塔はぺトロパヴロフスク聖堂。
   
 同じくネヴァ川を望む。トロイッキー橋を見る。  砲兵歴史博物館。バスの中からのスナップ。
 何門もの大砲が並ぶ。ソ連時代を偲ばせる。
 
 スパス・ナ・クラヴィー聖堂。キリスト復活教会。
 教会内は見事な彩色の壁画に飾られている。
 教会前で日本語の上手なガイドのアナスタシア
 さんと。

 
 旧ロシア正教総本山の聖イサク寺院。クラヴィー聖
 堂に負けないドーム内壁の美しさ。19世紀前半フラ
 ンスの建築家の設計で建てられた。ロシア帝政時
 代には皇帝の礼拝所であった。
 寺院内の撮影は有料で50ルーブル=¥200程度。
 
       1825年12月にこの元老院広場でデカブリスト(12月党員)と呼ばれた陸軍の青年将校達
         がクーデターを起こした。専制政治の打倒、農奴解放などを要求した「デカブリストの乱」
         は失敗に終わった。一時はこの場所はデカブリスト広場と呼ばれた。中央の騎士像はピョ
         ートル大帝である。
 
  この日は北国には珍しく気温は30度にもなり
  快晴を通り越してカンカン照り。ロシア人にとっては
  我々以上の暑さだろう。しかし土曜日でもあり広場
  は多くの人で賑わっていた。
 この広場には何組もの新婚さんが現れて
 友達と写真を撮っている。ここではピョート
 ル大帝の騎士像前が写真スポットのようだ。
   
 この色鮮やか建物は何であったか?
 やはりバスからのスナップ。
 翌日郊外に向かったバスからのスナップ。モスク
 ワ大通りの入り口の「戦勝記念碑」 実はレニング
 ラード封鎖の犠牲者記念碑である。脇に細長い塔
 が建つ。ナチスに包囲されること900日、その間100
 万人の市民が飢え死にしたと言われる。
 昨日バスでサンクトぺテルブルグに入
 って来た時は街自体が薄汚い印象が
 強かった。今日この街の中心部を走っ
 てみると18−19世紀の建物は中々
 美しく個性的でさえある。

 とても暑いが雨のことを思えば暑い方
 がありがたい。
今回の北欧の旅ではツ
 アーの皆さん寒い場合の服装には大分
 神経を使った
様子。私自身もジャケット
 やジャンパーを色々準備してきたが幸い
 着る必要はない。
 第2次世界大戦でのドイツに勝利した時に建てられた
 門だったと思う。ガイドの説明では凱旋門?勝利の門?
 この場所は芸術広場と言う。正面の黄色い建物は
 ロシア美術館。手前の立像はプーシキン。エカテリ
 ーナ宮殿の近くにも彼の座像があった。ロシアでは
 やはり国民的詩人なのだ。決闘で亡くなったのは
 未だ30代の終わりであった。
 これは18世紀半ばに建てられたニコライ
 聖堂。ロシア正教の聖堂で海洋都市サンクト
 ぺテルブルクのシンボル。日露戦争の海戦
 の戦死者も眠る。実はここには来ていない。
 この都市の絵はがきで見つけた美しい建物の
 一つとして敢えて取り上げてみた。
 


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