エフェス遺跡 |
Efes |
|
|
6月6日(火曜日)今朝も快晴。昨日よりは遅い8時半 にホテル出発。アイワルクからエーゲ海沿岸をおよそ 250キロ南下して古代遺跡のエフェスへ向かう。 途中10時半には例によってトイレ休憩。もちろんドライ バーにとっては2時間以上走りっぱなしであり安全の 為にも休憩は必須である。 休憩の後エーゲ海の中心都市イズミールを通過。トル コ第3の都会である。海沿いには大きな工場が見られ る。一方山の斜面にはガイドが言う一夜作りの家の 密集地がある。貧困層の住宅群。イズミールは特にヨ ーロッパ系市民、混血も多くトルコのモデルはほとんど イズミール出身と言う。同時にイスラム教徒でない人 々も多い。クリスチャンも無神論者も少なくないと言う。 このイズミールから更に80キロ程南に下るとエフェス。 |
|
写真左上; 仙台の井伊さん姉妹。 午後1時過ぎにはエフェス都市遺跡に到着。エーゲ海 地方の中心に位置して紀元前10世紀頃から作られた 古代都市の遺跡である。ギリシャから移住して来たイオ ニア人の作った街と言われる。 ヘレニズム時代とローマ時代に栄えた街で多い時には 25万人もの人口を抱えた。地中海東部でも保存状態の 良い遺跡と言われる。 写真上右: 大きな階段式の円形音楽堂でガイドの説 明を聞く。25,000人収容出来るという。 浴場や公衆トイレ、娼婦館まで備えた古代都市である。 この日は陽射しが強く一時間以上も歩き回るのは大変 である。真夏でなくてよかったと思う。時折砂塵が舞い 上がったりする。 |
|
チケットに描かれているのは一番原型を留めている セルシウス図書館。チケットのすぐ下の写真がそれ である。1970年代に修復された図書館正面。当時 の蔵書はパピルスに手書きされた書物で世界3番 目の規模になる12万冊を所有したと言われる。 写真右: この暑い中で一生懸命カメラを回して いる二人の男がいた。私が声をかけると地元トルコ のテレビ局だという。ちなみにテレビカメラはソニー 製だった。 |
|
パムッカレへの途中皮製品ショッピングと言う。庭のある 家に案内された。最初に通された広間では音楽と共に 皮製品のファッションショーが始まった。ステージを囲むよ うに沢山の椅子が置かれているが、我々6人だけが今日 の客だ。 色鮮やかな羊のジャケットやジャンパーを着たモデルが 次々と登場した。突然井伊お姉さんが舞台に呼ばれると 次ぎのステージには颯爽と登場した。 次の間では手触りの優しい羊のジャケットを勧められると 言う趣向。どれも10万円は超す。ハイそうですかと言って 簡単に買える品物ではない。 |
パムッカレ観光 |
ヒエラポリスの遺跡 & 石灰棚 |
エフェス遺跡を2時半過ぎに出発。そこから185 キロ。一度の休憩を挟んでヒエラポリスの遺跡 には7時頃には到着。こちらはエフェスの遺跡 よりは時代は新しくBC2世紀 ペルガモン朝の エウメネ二2世が作った都市。 しかし1世紀と14世紀の大地震に見舞われ、途中 12世紀にはセルジューク・トルコ人の侵入で破壊さ れており残された遺跡も大半くずれ落ちた状態。 発掘自体が新しくまだ緒についたばかり。現在は 予算が無く中断しているという。 写真左: 奥の3つのアーチはローマ時代のドミティ アヌス門と言う。 |
|
写真上左: カメラ片手に一人で歩いていると二人連れの 男が「写真を撮りましょうか?」と声をかけて来た。決して 怪しい者ではないと言う訳か「プレスの者です」と言う。 私はそれじゃと言って男の背の高い相棒を呼んで一緒に カメラに収まった。 私にカメラを戻すと今度は自分の大きなカメラで再度私に シャッターを切っていた。よく判らない。 写真上右: ドミティアヌス門の下。ガイドが英語で説明し ていた。 |
|
パムッカレの石灰棚はヒエロポリスの遺跡から歩いて すぐの場所にある。ヒエロポリスの時代からの温泉 保養地である。湧き出す温泉に含まれる二酸化炭素 とカルシウムで出来た石灰棚である。 近年近くに出来たホテルのせいで源泉が減って来たと いう。現在は規制されていると言うがやはり手前の石灰 棚はお湯が流れていない。 |
|
折角ここまで来たので水の中に入ってみようと腰掛け て靴を脱いでいると、少年が本を片手に「10リラ!ホテ ルなら15リラする」と日本語で声をかけてくる。 水はほとんど熱くない。しかし岩の上を歩くと痛いし滑 りやすい。 写真を撮ってそろそろ上がろうかと戻ってくると沢山の 人の中から又さっきの少年が「お父さん日本語の本だ よ。買って!」と寄って来る。やはり断ると「5リラでい いよ」 「君は幾つだ?」と聞けば15歳と言う。私は根 負けして1冊買ってしまった。 ¥400ほどで慈善を施したとは決して思わない。 『パムッカレ』と言うその本は後でよく見るとこの石灰棚 とヒエラポリスの遺跡のカラー写真をふんだんに入れた きれいな本だった。 |
|
ホテルへの到着は少し遅くなった。夕食は8時からと言う。 コロッセ・サーマル・ホテルはリゾート風の木造2階建て。 レストランもオープンな作り。やはりビュッフェスタイルで 種類は豊富。海外の食べ物は必ずしも口に合わないので 食べれそうなものだけチョイスできるので無難。多くは期 待していない。ただトルコでは必ずお米も用意されており 毎日一度は口にしていた。 写真上: プールの右手の建物がレストラン。かなり広い が何組もの日本人ツアー客がいた。 写真右: ツアー仲間の集合写真― 左からもう一泳ぎし てきたという鈴木さん、毎年ヨーロッパに奥さんと出かける。 石塚さん、鈴木夫人、井伊妹さん、海水パンツは持って来 ていないという私に貸して上げると言う井伊お姉さん。 |