London 1978(1)  

  
       1978年6月15日、開港したばかりの成田空港
を発って17時間後、初めての外国ロンドンヒース
ロー空港に着いた。当時北周りと言われたヨーロ
ッパ路線は米国アラスカ州アンカレッジに出て一
旦給油し、更に8時間かけてロンドンまで飛び続
けた。

初めての海外、私にとっては見るもの聞く物総て
が初体験である。社命を帯びての単身ロンドン
出張はプレシャーなしとはとは行かない。当時は
イギリスはまだまだ遠い国であった。
    写真; 一週間の宿舎となったKensington
       Hilton Hotel.上はフロント。
       下は同じく1階の中庭。
       このホテルには実は和食のレストラン
       があり日本人客も結構見かけた。



一睡も出来ずに到着したロンドンでは早く
も午後には重要な商談を控えたケンブリ
ッジ大学出版局
にアポが入れてあった。 

ホテルで旅装を解くのもそこそこに当時
はロンドン市内ユーストン・ロードにオフ
ィスのあったCUPに向かった。真っ黒で
頑丈なロンドン・タクシーの車窓から小
雨降る初めてのロンドンの街をいささか
興奮した面持ちで眺めた。       

              (Ms.Page & Miss White in Cambridge Univ. Press 1978)
         








『その日は朝からオフィスで打ち合わせ
をしていたが、11時になるとテイーブレ
ークにしようと言われ3階の別室に案内
された。その部屋はそんなに広くはない
が幾つかのテーブルを囲んで皆たった
まま談笑していた。自分でテーブルのポ
ットからコーヒーや紅茶をいれていた。



なるほど英国ではオフィスでも優雅なテ
イータイムを楽しんでいるんだと理解し
た。私は早速日本からの客として何人
かのスタッフに紹介された。
       (Display of all OUP publications)

  


・・・・・・・・・・・・・私はその頃欧米出版社の学術
雑誌を日本の大学や研究機関に紹介する仕事
をしていた。それらの雑誌はすべて年間購読シ
ステムで、海外の出版社から大学図書館や研
究室に直送される。年間10万円を超す雑誌も
珍しくなかった。しかしそれはアカデミックな仕事
というより日本での独占販売権を獲得すると言
う厳しいビジネスの世界である。そしてライバル
社と競っていた。』


                         (Mr.Ouditt, Sales Account Manager)
   









ロンドン到着初日緊張のうちに仕事を
終えた。中心になって協議を進めてくれ
たオーディット部長に誘われ夜は近くの
パブに行った。

それは私にとっても嬉しいことであった
が実はホテルに帰ってすぐにでも寝た
い状況ではあった。なにしろ東京で一日
仕事を終えてその夜10時過ぎのフライ
トでロンドンに飛んでいる。
しかも当時の北周りは17時間。全く眠れ
ないまま翌朝から仕事に入っている。結
局この時は既に45時間不眠であった。
    (A Pub near Cambridge Univ.Press)


  

         

 写真; ロンドン2日目の仕事を終えると出版局のDire
     ctorのMs.Pageにデイナーに招待された。私は
     一旦ホテルに戻り時間まで近くのケンジントン・ガ
     ーデンを散策した。この3枚はその折のスナップ
     である。

     上ー見渡す限りの緑の公園。この都心にこの静
     け さ。東京との違いを感じない訳にはゆかなか
     った。
     下左ー広い公園の一隅に見るブランコをする親子
     の姿。ロンドン市民の平和な日常がそこにあった。
     下右ーホテル近くの通りで見かけた3階建ての集
     合住宅。白い瀟洒な建物。中産階級の暮らしであ
     ろうか。
               
         
 


                                              

へ戻る のトップへ戻る