| London 1978 (2) |

| 二日目の夜は出版局のボス,デイレクターのページさんに夕食に 誘われた。シャルロット通りのイタリア・レストラン、Trattoria dei Pescatori に7時。私にとっては総てが初体験であった。 チョッと薄暗いレストランの地下室に案内されるとそこには彼女を 中心に昼間一緒に仕事をした雑誌部門のホワイト嬢、経理のマネ ージャー、インド系のオーデイット氏。さらに脳科学ジャーナルの 編集スタッフ達。 今晩のデイナーには私の他もう一人招待されていた。それは丁度 アメリカの雑誌社から取材に来ていた若い女性記者だった。 日本から初めて来た私をケンブリッジ大学の皆さんはとても親 切にもてなしてくれた。しかしページさんの特にコクニー訛りの 英語はよく聞き取れずしばしば隣のインド系のオウデイット氏に 通訳してもらった。 |

私が食べていた皿の上の海老を隣の女性記者が 「美味しそうなオマール海老ね!チョッと味をみさせて?」 とフォークでつまみに来たのには一瞬驚い た。さすがアメリカ人というか、その天衣無縫さ。 しかし私自身もそれですっかり肩の荷が下 りたというか、25年前の異邦人としてはリ ラックスできた。なにせ西洋人に囲まれて横 飯を食べると言う経験はなかったから。 |

週後半にはケンブリッジ大学出版局を終える
と同じロンドン市内にアメリカのUniversity
Microfilm Internationalの英国支社を
訪問。マックラハリン部長に面談。彼はこの
時が初対面であったが数年後東京で再会し
た時はオランダの出版社の部長だった。
(Mr.Mclaughlin at the office of Univ. Microfilm
International)
初めてのイギリス滞在、土曜日の午前
中は地元 Evans社のMorning
Tourに申し込んだ。半日のロンドン市
内観光。 £3.50当時の換算でおよ
そ¥1400位になった。
2002年の今でこそポンドは約¥185
程度だが25年ほど前のポンドは強く1
ポンドは¥400ほどした。2倍強である。
この4半世紀でイギリスと日本の経済力
が逆転したか。
(Buckingham Palace 1978)
この日のツアー
は20人程でほとんどがアメリカ人とイタリア人だった。日本人は私だけだった。ガイドは中
年の太ったおばさんで
およそ日本の観光バスでの若くて可愛いガイド嬢とは勝手が違う。
それでも例えばバッキンガム宮殿前の衛 兵交代儀式で途中下車すると撮影スポット はあそこが良い等と教えてくれた。とりわけ 私が注意していたのはバスに戻る集合時 間だ。アルバート・メモリアムでの短い停 車時間にも念を押して一人バスを出た。 アメリカ人は比較的年配のご夫婦が多か ったが、イタリア人は皆若い男女で陽気な 集団だった。テムズ川辺では英国議会と ウエストミンスター寺院をバックにそのイタ リア人にシャッターを切ってもらった。 |

翌週1日だけロンドンを離れてイングラン
ド西部のベイジングストークへ日帰り出
張をしたが、順調に予定を消化していた。

しかし帰国の段になって突然厄介な事
態が発生した。当時はどこの航空会社
でも時におこることではあった。
(Italians)

『海外のフライトは何が起こるかも知れない。帰りの便がJALのストに遭い、パンナム
(パンアメリカン航空)に振替えになった。ところがこれが南周りで、29時間の長時間
フライトを経験する羽目になった。
この時フランクフルトの後、革命前のイランのメハラバード空港に寄港したが、その半
年後に失脚したパーレビ国王の写真が空港に飾ってあった。ちょうど戦前の
日本で
の御真影を見る思いだったのを覚えている。そ後バンコックでは3時間機内で足止め
に遭い、香港経由で深夜の成田に着いた。』
(Albert Memorial)
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