オックスフォードを訪ねる |
2001年 |
Oxford 1985 & 1978 |
ホテルから歩いて10分とかからないパディントン駅。今朝の出発予定、オックスフォード行きを見ると10時13分になっている。
日本でインターネットで調べてきた9時43分があるはずだが、もう時刻表が変わったのかしら。
電光掲示板をよく見るとストラトフォード・アポン・エイボン/オックスフォード行きを発見。そうかこれが正に9時43分だ。
確認の為チケットを自動販売機で買うのは止めて窓口に並ぶ。
黒人の太った駅員が私の前の白人にはネガテイブな口調で早口にしゃべり、客の方はチョッと要領を得ない感じ。窓口のガラス張り越しに声は
インターフォンで聞こえているが彼には内容が充分聞き取れない様子。多分外国人なのだろう。
(Falcon Private Hotel 2001)
私の番が来るとこれは厄介だと思いながら
「オックスフォードまで1枚」
大きな声で言えば
「今日は帰りませんか?」
と聞いてくれた。これは同日の往復券なら大幅割引があるので、わざわざ外国人の私のために聞いてくれた訳だ。
私は大幅割引は同日中の往復しか適用されない事は承知していた。
「次のオックスフォード行きは何時がありますか?」
「次は9時43分」
と即答してくれた。
(Oxford Univ.from War Memorial Garden
)
オックスフォード駅からタクシーでほんの5,6分も
走るとファルコン・プライベート・ホテルに着く。チッ
プ込みで4ポンド払う、およそ750円ほど。
ホテルのあるビルは赤いレンガ造りの4階建ての
普通の民家のマンション風。階段を上がって玄関
脇のベルを鳴らす。しばらくすると若い可愛い女
性がドアから現れた。
「予約してある牧です」
と告げる。彼女は申し訳なさそうに
「まだ部屋の掃除が済んでいませんが・・・・・」
「チェックインの時間より早いことは承知していま
すよ。これから市内見学に行くのでスーツケース
だけ預かってくれますか?」
「判りました。それではこちらに入れて下さい」
(Main street in Oxford)
4月にインターネットでオックスフォード 市内のホテルを探していた時、大学都 市のオックスフォードにはかなりの数の ホテルやB&Bがあったが、このホテル の場合は市内中心まで徒歩10分と言 う情報が決め手になった。 それを信用して歩く。 最初に行き当たったのがWar Memo rial Garden。第2次世界大戦の記念 庭園だろうか。入ってすぐ左手には幾 種類ものきれいな花が咲く。珍しく黄色 い花を一杯つけた木が一本。日本では 見かけない木だ。 |
先に進むと何か由緒ありそうな蔦の這った五階建ての大
きな建物がある。若い人達がそれを見上げている。19世
紀頃のものだろうか。更に奥はガーデンと言うより野ッ原
の感じで開けている。日本人らしい若い女性が一人で花
を撮っていた。
市内巡回の2階建てバスの乗り場には日本語他のテー
プ付8ポンド、およそ1500円。また一部のカレッジでは
1時間の学内徒歩ガイド5ポンドなどの立て看板が見ら
れる。いずれも高いとは思わないがもう独りで結構歩い
ているので参加はせず。
(A College of Oxford Univ.)
裏の路地を歩いていると一部のカレッジでは観光客にも公開しており、受付で大学のスタッフに断ってキャンパスに入る。最初に入ったのが Lincon College。 芝の内庭、蔦が這う4階建ての古い校舎。薄暗い建物の中に入ると学生の食堂。チョッと教会を思わせる雰囲気。正面には昔の教授たちの大きな肖像画が並ぶ。 恐らく2百年、3百年と言う時間が流れたであろう、天井の高いヒンヤリとした空間が広がる。 |
(Mueum of Oxford)
私は服を着たままベッドの上で目を覚ましたのは夜の8時すぎだった。テレビがまだ点いていた。何時眠ってしまったのだろう。そういえばチョッとお腹がすいている。
ホテルの近くの Inn の1階はレストランになっていた。
「日本の方ですか?」
と声をかけてきたのは私の横でギネスを飲んでいた2人ずれの若者だった。はじめ地元のオックスフォードの学生かと思った二人に
「そうですよ。今日ロンドンから着いたばかりです。明日からレンタカーを借りてコッツウオルズ地方をドライブの予定です」
と応えていた。少し話し出すと英語のネイテイブではないことはすぐ判った。
マイケルと名乗ったあごひげの青年は
「僕達はドイツのボンから夏期の語学研修に来てるんです」
と言う