『7泊9日イギリス1人旅』 あとがきに替えて
海野 弘  英国の旅について

  旅は詩心を誘うという。
  古い友が英国に旅し、その紀行を一つにまとめた。若き日の文学青年が甦ったのであろ
  うか。それを祝って、私の英国についてのささやかなエッセイを贈りたいと思う。

  まず<英国の旅>について考えてみたい。というのは、私たちの考えている<旅>とい
  うのはどうも英国文化の発明らしいので。商売のためとか、あるいは巡礼のような信仰
  のためとかいった目的ではなく、ともかく出かけて、野山を歩き、名所旧跡を見てまわる
  旅が一般化したのは、近代になってからである。
 
 物見遊山の旅が普及するのは、1830年代、鉄道が発達してからである。面白いことに、この時に写真が発明され、珍しい土地の<風景>を見ることができるようになる。旅と写真は切り離せないのである。

いちはやく鉄道を発達させた英国は、近代的な旅のシステムを確立する。トーマス・クックの旅行社が今日の観光旅行を確立していくのである。

左;海野 弘氏(評論家)  右;江津 兵太氏(前テレビ東京プロデユーサー)撮影;牧 義人

 そのように実際的に近代の<旅>が英国で発明されただけでなく、<旅>や<風景>の精神的、文学的意味も発見される。それは、英国の風景画家(ターナー、コンスタブルなど)とロマン派の詩人たち(ワーズワースなど)によってなされた。今日、英国の旅でも最も人気のある<湖水地方>は、ワーズワースや コウルリッジによってその美しさが発見された。いや美しさというのは正確ではないかもしれない。ロマン派が、<風景><自然>に見出したのは<崇高さ>であった。簡単にいうと、自然の素朴さの中に精神的に高い価値を見るのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・
  
 英国は<旅>を発明し、<旅行記>を発達させた。その旅は、自然の中で素朴で崇高なもの、ユートピア(理想郷)を求める旅だ。世紀末には、都会を離れ、田園の中にユートピア村をつくり、そこで素朴な共同生活を営なもうとする運動が起こった。ウイリアム・モリスなどのアーツ・アンド・クラフツ運動である。

 その一つのアーテイスト・コロニー(芸術家村)がつくられたのがコッツウオルズであった。日本の柳宗悦などによる民芸運動の先駆であった。・・ ・・・・
                           湖水地方
                                
  そして、私たちは20世紀をせわしなく働きつづけてきたが、その終末を迎え、もう一度、私たちは癒しの旅をさがしているのではないだろか。その一つの可能性を与えてくれるのが<英国の旅>なのだ。ワーズワースのカントリー、シェイクスピアのカントリー、ウオルター・スコットのカントリー、ウイリアム・モリスのカントリーを私たちはたどることができる。そしてロンドンは、デイケンズやシャーロック・ホームズのシテイなのだ。

 私たちは<英国の旅>によって、英国を旅するだけでなく、自分の生きてきた旅をふりかえってみるのだ。<英国の旅>は、旅をするだけでなく、旅について、また旅をしている自分について考えさせるのではないだろうか。

 この本の著者もまた、そうだったのだろう。<英国の旅>をし、それについて書きたいと思ったのだ。私たちはずい分会うことはなかったが、この本によって再会し、友情を新たにした。<英国の旅>もさらにつづくことを祈っている。                
 (『7泊9日イギリス1人旅』の「英国の旅について」より抜粋)

     

  
 海野 弘(うんの・ひろし)氏 

 1939年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。平凡社勤務、『太陽』編集長を経て独立。
  デビュー作『アールヌーボーの世界』から『パリ・都市の詩学』『カリフォルニアオデッセイ』6部作。新しくは大作『陰謀の世界史』まで120冊以上の作品を発表している。世紀末美術からスタートして今や江戸を舞台にした時代小説までと著者の関心はとどまる所を知らない。
   2003年に入ってデビュー作の『アールヌーボーの世界』が装いも新たに中公文庫で復活。6月には『百貨店の博物史』刊行、その後11月には文芸春秋より『スパイの世界史』、翌12月には小説江戸草子シリーズ最新作を河出書房新社より『江戸まぼろし草子』刊行。更に2004年に期待したい。

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