Oxford 1985  

アメリカ出張からロンドンに入り慌しい日程の中、ロンドン・オフィス金子支配人と日帰りでオックスフォードへ来た。この時の英国鉄道の片道料金は£13.60. 一方2001年の料金は£15.20だった。16年たってもわずか11%台の値上がりに過ぎない。

オックスフォード大学出版局を訪ねた。珍しくカメラを携帯しておらずこの日の記録は残っていない。当日お会いしたスタッフの名刺 とオックスフォードからパデイントン駅までのチケットだけが残っている。


                 (A Ticket of British Rail from Oxford to Paddington 1985)

   

大学出版局のAcademic DivisionのAdam Hodgkin氏
そしてJournal部門の若い女性ManagerのJanet
PulfordさんとJulieAtkinsとMeetingを持った。

ランチは大学の教職員用の大変クラシックな食堂で2
人の若いスタッフにご馳走になった。割に小柄でチョッ
と田舎風な素朴な女性達だった。我々は大学出版局
が刊行している沢山の学術雑誌を日本の研究者へ
提供していた。その意味では客でもある。

午後はオックスフォード市内のヘデイントン・ヒルの商業出版社パーガモン社を訪ねた。林の木立の中にガラス張りの明るい社屋が建っていた。 外見通りオフィスの中もスマートでモダーン。先程の大学の17世紀,18世紀と言う校舎とは対照的だった。

国際営業部長のスナイダー取締役と面談したが、この時はオウナーのロバート・マックスウエル社長には会うことはなかった。 名刺は1980年東京で会った時のものである。後に英国新聞界でMIRROR グループを買収して話題になったが、1991年には自分のヨットで航海中に溺死体で上り謎の死がまたマスコミに騒がれた。

            (Name Cards of Mr.Maxwell & Snyder 1985)




 Oxford 1978   
               


                                          













           (River Thames in Oxford 1978



 
 この年仕事で初めてのイギリスに来た。ロンドン
 滞在中の1日、日帰りのシェクスピア・カントリ
 ー・ツァー
に参加した。忙中閑あり。当時はコッ
 ツウオルド地方はほとんど日本では知られてい
 なかった。もちろんシェークスピアのストラトフォ
 ード・アポン・エイヴォンはそれなりに有名では
 あった。オックスフォードはその地方の東の入り
 口あたる。ちなみにこの時のツアーは£17.0
 0およそ6800円だった。


    

















                               

ロンドンを発った観光バスの最初の寄り道がこの大学都
市オックスフォードだった。急ぎ足の観光であったためオ
ックスフォードの街や大学をゆっくり見学すると言う余裕
はなかった。幾つかのカレッジの建物を写真に撮るのが
精一杯だった。










  (A College of Oxford Univ. 1978)
        

                                                                                





 (Kume Family from Yokohama)

 へ戻る 

  のトップへ戻る