べージングストークを訪ねる |
A 1980年 |
2年ぶりに英国南部ハンプシャー州の Basingstoke
を訪れた。 ロンドンから西に70キロ程の距離。近年はIBMやエクソンとハイテク 企業が集まっている街であるが、当時は静かな田舎町と言ってよかっ た。 あのコートで有名な Burberry が19世紀半ばにここべージング ストークに洋服店を開いたと言うのが唯一の話題。 |
(Staff of Taylor & Francis
and Y.Maki in Basingstoke)
6月ロンドン滞在中は毎日地方都市への日帰り 出張をしていた。この日も昨年開設したばかりの ロンドン事務所の若い筆保支配人とベージング ストークのテイラー&フランシス社の本社に来て いた。 当時同社の全書籍、雑誌の日本での販売総代 理店をしていたのでお互いに緊密な関係であった。 同社の会長ネヴィル・モットー博士は1977年には ノーベル物理学賞を受賞されていた。 |
(Central Building; 1st.Office,2nd.Printing
house,
3rd.Warehouse)
(Mr.Fudeyasu and Staff of Taylor
)
Basingstoke
B 1978年
|
(Mr.Stanley Lewis,President of Taylor )
初めての英国出張でロンドンのケンジントン ヒルトン・ホテルに泊まっていた。朝9時には Taylor & Francis社のルイス社長が自ら 運転する車で迎に来てくれた。 当時は本社は ロンドンではなく7,80キロ も西のベージングストークにあった。彼は車 を飛ばして社へ向った。彼が初めて日本を訪 れた時のことが話題になったが、私にとって も彼とは再会であった。 |
本社に到着すると主だった役員やスタッフが集まって くれ、ルイス社長から紹介を受けた。 午前の商談が終わると、お昼は社から歩いて数分と 言う近くのパブにルイス自身が案内してくれた。店の人 だけでなく客も何人かが顔見しりで彼に挨拶していた。 いかにもローカルな街の風景に思えた。 |
(Mr.S.Sibley,Production Director)
午後には印刷部門の責任者でもあるシブリー 役員が印刷工場を案内してくれた。彼の英語 は大変なコクニ―訛りで、ただでさえよく判ら なかった私にはまるでドイツ語でも聞いている ような感じだった。 本社ビルの裏に続く印刷工場はかなり広く 自社の書籍の印刷だけではなく、他の幾つも の出版社の印刷も請け負っていると言う。 それにしても2,3日前に訪ねたロンドンのケ ンブリッジ大学出版局の印刷部門を見学した 時と同様、印刷工の腕や肩に見えるタトゥーが 特に私の目を惹いた。階級社会と言われる英 国のワーキング・クラスの一端を見たような気 がする。 |
翌6月22日帰国の段になってトラブルが発生した。予定していたJALがストに突入。東京へ
のフライトが取り止め。急きょ手配された便はパンナム。それもイラン、バンコック、香港経由
の南周り。29時間かけて開港したばかりの深夜の成田に着いた。タクシーを飛ばして立川
の自宅に着いたのは午前一時を回っていた。
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