オランダの旅    HOLLAND

       A  1980年



1980年6月23日(金曜日) 早朝、滞在中のロン
ドンよりアムアテルダムへ向う。初めてのスキポー
ル空港には1時間で到着。

オランダ1の出版社エルゼヴィアの深田マネージャ
ーの迎えを受けてその足でアムステルダム市内の
本社へ。途中車の中から建設中の新しい本社ビル
を教えられた。現在の社屋も結構大きなビルで案
内されたオフィス内部は我々が導入を考えていた
コンピューターによる業務のシステム化が進んでい
た。






 

        (Headquarter of Elsevier Co.,)




エルゼヴィアは世界有数の学術出版社で当時
私のいた会社が日本に紹介していた同社の学
術誌も500誌を越えていた。当然各雑誌の執
筆者は世界トップレベルの学者で全て英語で
書かれていた。日本の科学者の論文も当然
見られたが、当時は決して多くはなかった。

  

                                         (Mr.Fukada, Manager of Elsevier)


我々は海外の数百社に上る外国雑誌の輸入業務、オーダ
ープロセッシングを初めてオンライン処理で行うシステム化
をめざしていた。エルゼヴィアでは世界中の書店、取次ぎ、
大学等からのオーダーが端末機の画面上で処理されてい
た。

アジア地区オーダー担当のインド系の若い青年Mr.Shah
がキーを叩いて一つずつ説明してくれた。私にとってはオン
ライン自体が初めての経験で、極めて新鮮な驚きであった。











夕刻仕事を終えると今晩の宿舎、クラスナポルスキーへ案内
された。王宮があるダム広場に面してチョッとクラシックなホテ
ルであった。

部屋に通されるとデスクの他に大きなソファとテーブルのある
ゆったりした部屋だった。テーブルの上にはイチゴ、パインナ
ップル、りんごなど果物の籠盛りが置かれておりエルゼヴィア
・オットー・テル・ハ―ル社長名のメッセージが付けられていた。
心憎い配慮。


                                          (Grand Hotel Krasnapolsky)



夕食はホテル・オークラへ案内された。アム
ステルダムにオークラがあるのは知らなかっ
た。アムステルダムは文字通り市内は運河が
張り巡らされており、夕食後は船で運河巡り
となった。

夜8時はまだとても明るい。深田氏は船のガ
イドにはオランダ語で話し掛けたので、彼女
はチョッと驚いていた。オランダの人は英語
は当たり前のように話すが、日本人からオラ
ンダ語で話されることは予期していない。

彼は英語はもとより堪能である。彼は若くして
音楽の勉強の為にオランダに留学したと聞いていた。


                                    
                    (Amsterdam National Museum)

5月24日(土曜日) 私は午前10時から3時間 
のアムステルダム市内観光のバスに乗った。
主な行き先はアムステルダム国立博物館、ダイヤ
モンド研磨工場の見学。

ガイドの説明は昨晩の運河巡り同様オランダ語、
英語,ドイツ語,フランス語の4ヶ国語を巧みに使い
分けていた。15人ほどの客には私以外にも一人
アジア系の人が乗り合わせていた。

少し年配の人で私には中国系と思われた。話して
みるとアムステルダムには学会で来ていると言う。
ニューヨークはブルックリンのロングアイランド大学
病院の先生で専門は病理学と教えてくれた。Dr.
Vi Tuh Lieu。漢字では劉維徳と書くと言う。




国立博物館では丁度オランダの代表的な画家
レンブラント展をやっていた。午後はホテル前の
ダム広場をスタートにダムラーク通りをアムステ
ルダム中央駅へ歩く。

よく見るとこの駅が赤レンガ造りの東京駅のモデ
ルになったことが判る。この駅からはヨーロッパ
各都市への汽車が発着している。汽車で国境を
越え外国へ気軽に行ける感覚は日本人の私には
不思議であった。


(アムステルダム中央駅 & ダムラーク通り)







                                   

                                           
 ダム王宮前の広場、バイエンコルフ百貨店前 市内は運河の網の目。





                        (The Restuarant in Hotel Kurasnapolsky)



5月25日(日曜日)オランダ3日目。今日はパリへ移動である。
今朝朝食のレストランで日本の方にお会いした。交換した名刺
には山陽国策パルプグループのS化工の開発営業部中居部長
とあった。お互いに東京からの単身出張中の身だった。

食後ホテル前の広場で写真を撮った。機会があったら又東京で
お会いしましょうと言って別れた。あれから23年が経過した。中
居氏は東京でご健在であろうか。







   (Mr.Hiroyuki Nakai)

                           (Maki in front of Koninkelijk Paleis)


        

2泊3日の急ぎ足のアムステルダム。週末のお陰でロンドンで
出来なかった観光が1日可能になった。右の写真は17世紀
のオランダ王室の王宮前で中居氏が撮ってくれたもの。

世界の空港では最も免税店が充実していると聞いていたスキ
ポール空港。結構広くて初めて飛ぶパリへのフライト手続きさ
え戸惑った。

KLMのダグラスDC9のジェットで1時間のフライト。機内には
さすが日本人の顔は無かった。



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