オーストリアの旅  AUSTRIA

 
  A  2000年





7月12日(水曜日) 夕刻5時過ぎバスはハンガリー
からオーストリアに入国。それから1時間ほど走って
ウイーンに到着。ホテルはウイーンの中心円である
リングからは少し離れている。オーストリア鉄道ウイ
ーン南駅のはす向かいが我々のホテル・プリンツ・オ
イゲンである。午後7時前に到着。

しかしチェックインは予定より既に1時間も遅れてお
り、すぐまた夕食の為バスで出発という。ウイーン郊
外のホイリゲで音楽を楽しみながらの食事と言う。ホ
イリゲとはワインの新酒が飲める居酒屋のこと。

ウイーン市内の街を抜けて7時40分過ぎ、レストラ
ンはワインセラーでもある一軒のホイリゲに着いた。
ワインは大きなグラスになみなみと注がれる。前菜
はチーズとハム。籠に入ったパンがきた。メインは厚
切りのローストポーク。それにポテトと煮たキャベツが
つく。更に太いソーセージ。デザートは甘いケーキ。コ
ーヒーだけは別払いでオーストリア・シリング30、お
よそ240円。

















      (Hotel Prinz Eugen)
  





我々が泊まったホテル・プリンツ・オイゲンは対トルコ戦争でウイーンを  
  救った英雄オイゲン公の名前から来ている。そして彼の夏の離宮ベル
  ヴェデーレには歩いて行ける位置にある。又ヨーロッパ各都市に出かけ
  るウイーン南駅はすぐ前にある。  






                     (Garden of Schloss Schonbrunn シェ―ンブルン宮殿)




 7月13日(木曜日)、ウイーン2日目の朝。
 8時半にはバスは出発。半日の市内観光
 はまず世界遺産のシェ―ンブルーン宮殿
 から。フランスのヴェルサイユ宮殿に対抗
 して造られたハプスブルグ家の夏の宮殿
 である。

 18世紀の始めに完成しているが、184
 3年からはマリア・テレジアによって次々
 改築され今日見られる華麗な姿になった
 と言う。






 (Schloss Belvedere ベルヴェデーレ宮殿)




                      


                                     


シェ―ンブルン宮殿は団体予約制の見学だったが
とても混んでいた。自由時間になった時には急い
で広い庭園へ出た。宮殿をバックにして誰かに写
真を撮って貰おうとスーツにタイの日本人に声を掛けた。
しり込みする彼に代わって連れの一人が英語で
答えたので、「台湾からですか?」
「いや、ベイジンから」
「そうか! 北京からか。チョッとカメラのシャッター
を切ってくれない」

そんなやりとりを見ていた添乗員の持田さんが突然現れ
「知り合いの方ですか?」
「いえ、今写真を頼んでいたんです。中国の人です」
「私は牧さんが又友達に会われたかと思いまし
たわ!」


                (Rathaus ウイーン市庁舎)








シェーンブルン宮殿の後はホテル近くのベル
デヴェ―レ宮殿へ回る。その後はウイーン市
内のリング上をバスで駆け抜け、ウイーン市
立公園脇のレストランに案内される。ランチは
ウイ―ンナー・シュニツエルと言う郷土料理。
いわゆるウイーン風カツレツだ。

午後1時ウイーンの中心、オペラ座前で解
散。待望の自由時間になる。最初に訪れ
たのは20世紀始めまでは皇帝の居城で
あった王宮へ。新王宮、旧王宮と別れるが
広い英雄広場を取り囲んでいる。


  それを抜けるとウイーン最古のフォルクス
公園が続きブルク劇場へ出る。

   (Staatsoper 国立オペラ座)



                                                        

 海外の街では歩き倒しての写真撮影。しかし今回
  ばかリは足の疲れに警戒していた。出発の1ヶ月
 前には左足膝痛に見舞われ歩くのもままならなか
 った。一つ間違えば海外旅行どころではなかった
 ことを思えば手放しで歩き続ける訳にはゆかない。

 ブルク劇場前のリングを横断してウイーン市庁舎
 前の広場に向かう。強い陽射しを浴びて食べ物や
 飲み物の屋台が広場を埋めている。これは何かお
 祭りかとも思えるが、どうやら常設の屋台群のよ
 うだ。

  カキ氷にみぞれをかけているような屋台もあれば
  大きな鉄板の上で麺類を炒めている屋台もある。
  チョッと日本の焼きそばを思わせ食事を済ませた
  ばかりでなかったら、早速鉄板の前の丸椅子に
  腰かけているところだ。

  


                  (A Street of Wien)











 マリア・テレジア広場を挟んで自然史
 博物館と美術史博物館が向かい合っ
 て建っている。美術館は入場料120
 シリング、およそ1000円位。ここは 
 ハプスブルク王家歴代の美術品コレ
 クションである。


 (Kunsthistorisches Museum 美術史博物館 )


    


 午後7時半ころ、このホテル・プリンツ・
 オイゲンから歩いてすぐのウイーン南駅
 に出かける。食事をしても良いし、何か
 食べるものを買って帰るも良し。駅1階
 は広い空間で両サイドには幾つもの店
 が並んでいる。

 中央突き当たりのエスカレータに乗って 
 2階へ上がる。次の汽車の表示板には
 ミラノ行きやフィレンツエ行きとある。奥
 のプラットフォームへ出ると汽車も止ま
 っている。ここからイタリアへ向け間も
 なく出発する汽車にカメラを向ける。








                                        

   (Wien South Station)


 そんなに遅い時間ではないが乗る人は少ない。そう
 言えばかつて東ヨーロッパの各地からこのウイーン
 南駅には西側に亡命する人々の群れが押し寄せた
 と聞く。今はおよそそんな喧騒は感じられない。

 ベルリンの壁が壊されてすでに10年になるか。ブダ
 ペストも旧社会主義国の目に見える痕跡はあまり感
 じなかった。しかし現在も尚命懸けで亡命を決行する
 人々が存在する国がある。

 最後に泊まったホテルに関する2題。左の写真は9
 階自室のベランダからのウイーン市内の景色。いつ
 もツアーではおよそ部屋からの風景は期待出来な
 い。私は出発前ウイーンでのホテルを知るや「東京
 からの写真撮影のために見晴らしのきく部屋のアレ
 ンジ」要請方ホテル・マネジャー宛てメールを打っ
 た。

          (From my Room)








 
  チェックインしたツアーの人達が2,3階で皆降
  りたが私のルームナンバーは最上階。車の多
  いホテル正面の大通沿いではなく静かな裏通 
  りだった。メールの効果であったかどうかは
  不明。

  もう一つは右のチョッとむさ苦しい写真。これ
  は私がこのホテルのささやかな気使いに感心
  した例。と言うか限られた空間をうまく活用し
  ている。

  @バスタブの上には洗濯物が干せるように
   伸縮する複数の金具がついている 
  A洗面の横にはやはり複数の手拭い掛け
   がある(壁面とは別に)
  Bその上にはガラスコップをのせるリング
   が用意されている。 

  海外のホテルにはかなりの数泊まっている
  がこのうち一つでも用意されているのは稀
  なこと。



























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