モントルーを訪ねる  
      A  2002年6月   


    

6月30日今朝はインターラーケンを出発してユ
ングフラウヨッホに上る。登山電車を降りるとバ
スに乗り継いでジュネーヴに向かう。その途中の
道でレマン湖畔のシヨン城に寄る予定。

ユングフラウをたって一時間位は経っただろう
か。バスは休憩の駐車場に入った。リフトで上
がった店ではテレビの前に人だかり。何だろう
と近寄ると今日は丁度ワールドサッカーの決勝
日。日本時間夜8時からプレーオフの横浜スタ
ジアムからの生中継だ。

ヨーロッパのドイツと南米のブラジルとの決勝
戦。画面を見ると1対0でブラジルがリードして
おりロナウドが得点していた。ドイツがゴール
に蹴ると歓声があがった。



Chateau de Chillon

                             

      短い休憩が終わるとバスはまた
     モントルーに向かった。それから
     どれ位経っただろうか。向かいから
     けたたましいクラクションを鳴らしな
     がら車がやって来た。何事かと思
     えば車の窓からは緑のブラジルの
     国旗が見えた。

     ブラジルが優勝したことを悟った。
     バスの左手には既にレマン湖が広
     がっていた。我々のバスもシヨン
     城に到着。                                           (シヨン城からレマン湖の眺め)



     バスを降りたところで又クラクション
     を鳴らす車、旗を振る車が続けてや
     って来た。ここはスイスなのにと思い
     ながらそれを眺めていた。






   


                   (レマン湖に迫り出したシヨン城)

   
 11世紀に遡るシヨン城も現在の姿は19世紀末の 大掛かりな修復工事によると言われる。シヨン城は 山と湖に挟まれた街道の言わば関所の役目をして いた。

 地下は天井の高い牢獄になっており柱には囚人を何年も縛りつなげていたという鉄の鎖が付いていた。
 ここを訪れた英国の詩人バイロンが詩に詠ったのは有名な話である。レマン湖を望む窓には鉄格子が嵌っていた。
 
    (写真上: 城内の武具の部屋、
      右:  城内で写生をする地元の女学生、
      窓の外はレマン湖が開ける)

 

   その後バスはレマン湖沿いにさらに80キロは
   走っただろうか。やっとジュネーヴだ。ここから
   はフランスの誇る新幹線であるTGVでパリに
   向かう。ジュネーヴのコルナヴァン駅では改札
   でパスポート・コントロールがあってスイスを出
   国する。

   ジュネーヴからパリまでの3時間40分の国際
   列車はそれなりに期待もあった。しかしツアー
   に一人で参加している奇数の私の席は他の人
   達のように二人ずつの席ではなく四人の向かい
   合わせの席になっていた。小さなテーブルを挟
   んで若い男女と対面席だった。落ち着かない。



    




列車がスタートしてしばらく車内で弁当が配られた。
折詰は現地ジュネーヴで調達されていた。割り箸を割いて食べ始めたが、テーブルに置かれたお茶のペットボトルを見ていた彼は私と目が合うと「これは何の飲み物ですか?」
「これは日本のグリーン・ティーですよ」

そんな会話を交わして
「これからパリに戻るところです」
と言うフランスの若者。多分恋人同士の二人は仲良く語り合っていた。しかしいつか女性の言葉が少しきつくなった。それからしばらくすると二人の会話はますます険悪になってきた。やがて私
の真向かいにいた彼女は左席の彼を避けるよう右側の車窓に顔を向けて黙ってしまった。

私はそんな二人と向かい合わせでパリまでの憂鬱な時間を過ごす羽目になった。眺めていた外の景色も日が落ちてやがて真っ暗になった。

         (Geneve)
                            

   長くて疲れるTGVの3時間40分。さし
   ずめ新幹線なら東京を発って広島位
   だろうか。着いたのは広島ならぬパリ
   のリヨン駅だった。

   既に11時半を回っていた。迎えのバ
   スに乗ってパリ北東の19区のホテル
   にチェックインしたのは深夜12時を回
   っていた。本当に長い一日だった。


  
 

                          (鎌倉から参加の板垣氏と原氏夫人、ジュネーヴの駅)

     
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