ポルトを訪ねる |
2003年10月 |
ドウロ川にはかつてワインを運んだ船・ラ
べーロが停泊していた。我々のバスはそ
の川沿いに止まった。道路の左手には白
い2階建て家があり、屋根の上には鍔広
の帽子に黒いマントを羽織った男の看板。
そして SANDEMAN の文字。
ツアーの一行はそのワイン醸造所に招き
入れられた。両側に沢山のワイン樽が積
み上げられた薄暗い通路を抜けると広い
場所に出る。ここでは地元ポルトワインの
歴史がスクリーンで紹介され、ちゃんと日
本語のナレーションが付いていた。
(サンディマン醸造所のワイン樽)
そして最後には長いテーブルのある部屋に着き、お
待ちかねの試飲となった。ツアーの24人全員が向か
いあって腰掛けスタッフの案内を聞いた。ワインは
Tinto 赤 と Branco 白とが用意されそれぞれ一杯づ
つグラスが回された。
赤はルビーポルト。案の定甘かった。ストレートで飲む
よりはカクテルにして飲む方が向いている。私には白
にしては少し濃くのあるホワイトポルトの方が口にあ
った。しかしこれも飲みなれた14ー15度のワインと
違ってかなり強い。聞けば19度と言う。私は自分用に
この白ワインの方を買った。カウンターではやはり何人
かの人が買い求めた。
私が別に手配していたワインはヴィーニョ・ヴェルデ (Vinho Verde)と言いこのポルトより更に北のブラガで造られる。若いワイン或いは緑のワインと呼ばれる。こちらは9度前後とアルコール度が低く、軽快で爽やかな飲み口だった。少し炭酸も入っていた。
(サン・ディマン醸造所とワインのラベル)
日本ではやはりフランス・ワインが一番飲まれるが
日本人が最初に口にしたのは他ならぬポルトガルのワインである。16世紀半ばポルトガルの宣教師によってもたらされた。戦国
武将織田信長は珍陀(チンダ)を飲んだ。
つまりポルトガルの赤ワイン,ティントであった。
サンディマンを出ると外はすっかり暗くなっていた。
バスに戻るとこれからサンフランシスコ教会へ。し
かしその頃から雨が次第に強くなりだしていた。14
世紀初頭に建てられたこの修道院付属の教会はな
んと200キロにも及ぶ金が使われていると言う。
きつい雨の中を教会の階段を上る。確かに教会の
あらゆる彫刻は金箔に覆い尽くされていた。カトリッ
クは正に富の集まる権力の中枢に存在していたこ
とを理解する。今は現役の教会ではなく博物館に
なっていると言う。高い天井の何処からか厳かに鳴
り響く賛美歌はどうやらテープの仕業と知って興醒
めする。
(サンフランシスコ教会の主祭壇)
それはともかく帰る段になって、雨は一層激しく叩きつけ一歩も外へ出られない。この教会の床は珍しく石ではなく板張りだった。聞くとその下には聖職者の遺体が埋葬されていると言う。我々を始め観光客は皆のその上を何事もない様に歩いている。確かローマの寺院でもそんなことを聞いたことを思い出した。エヴォラでの人骨堂と言いカトリックの世界と仏教の世界とはやはり死生観の違いだろうか
帰りのバスがまた渋滞した。この雨のせいばかり
でもない。ホテルには7時過ぎに到着した。特に特
長があるというホテルではないが洗面所で一つ発
見があった。風呂に電話はさして珍しくない。伸縮
自在の鏡が珍しかった。洗面の鏡ではなく顔に引
き付けて使うのは男性では髭剃り、女性なら化粧
に必須であろう。
(洗面所の伸縮自在の鏡)
翌朝は一応雨は上がっていた。しかしホテルの窓
から外を見る度に様子が変わっている。9時の出
発前にいつもの癖でホテル周辺の散歩に出る。出
勤のポルト市民や小学校へ通う子供達に出会った。
しばらく歩くうちにまたパラパラときた。これは遠く
迄は行けないと道を曲がる。
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(ポルトのホテル前の通り)