コインブラを訪ねる   
         2003年10月

     

    

 10月31日(金曜日)午後1時半にはアヴ
 ェイロ発ってコインブラへ向かう。およそ50
 キロの道を南下する。2時半にはコインブラ
 市内のホテル・アストリア前にて現地ガイド
 と合流する。

 コインブラはポルトガルでも未だかなり北部
 に位置しているが8世紀から11世紀後半
 まではイスラム教徒とキリスト教徒との戦い
 の最前線であった。あのレコンキスタの拠
 点になる。1179年にはエンリケスが教皇
 によってポルトガル国王として認められた。
 この時初の首都がコインブラに定められた。


   (Universidade de Coimbura コインブラ大学)

                                    

  
    コインブラ大学は13世紀末の1290年に
    ポルトガル6代目のデニス王の命で創建
    されている。ポルトガルだけではなくヨー
    ロッパでもボローニャ大学、パリ大学と並
    ぶ最も古い大学である。

    あいにく雨が降ったり止んだり。大学の
    キャンパスでも急ぎ足で校舎に駆け込む。
    最初に訪ねたのは立派な礼拝堂チャペ
    ル。そして18世紀の始めに建てられた
    図書館。3階層の吹き抜けで正面、両サ
    イドに図書が配架されている。

                                         (右の建物が大学図書館)

   


  ガイドの説明では この図書館は30万冊に及ぶ
  貴重な文献を虫の害から守るために館内に蝙
  蝠を飼っていた。しかしその蝙蝠の糞の始末に
  苦労したと言う。現在でもこの図書館の館内は
  かなり暗いが昔は紙と木の図書館を火災から守
  るために火が一切使えなかったと言う。冬の寒さ
  以前に自然光のみで本を読むと言う試練に耐え
  なければならない。



  コインブラ大学は市の丘の上にありそのキャン
  パスからは街の中央を流れるモンデーゴ川を
  始め街を眼下に収めることが出来る。一時は激
  しく降った雨もやっと収まってきた。来る時は大
  学のキャンパスまでバスで一気に来たが帰りは
  狭い坂をゆっくり歩いて下る。

      (都心からコインブラ大学へ通じる脇道)

                               

  

  
     本当に昔のままかと思える狭く急な坂道。
     途中に小さな土産店などがあって立ち寄
     る。タイル絵のアズレージョが色々並べて
     ある。土産用の壁掛け。陶器なども見受
     ける。

     坂道を下り終わると丁度街のダウンタウ
     ンに出た。3時40分頃、添乗員は
     「皆さんしばらく自由行動にします。集合は
     4時半、ガイドと合流したホテル・アストリア
     の前にします」
     と言う。これはありがたい。自由に写真が
     撮れる。

     「この通り左手に行けばはモンデーゴ川、
     ポルタジェン広場です。右手、こちらが北
     になりますが少し行けばサンタ・クルス修
     道院があります」 

              

                 (Mosteiro de Mosteiro Santa Cruz サンタクルス修道院)


  私は最初にサンタクルス修道院前の広
  場にでた。広場の屋台では場所柄か太い、
  カラフルなローソクが幾種類も売られてい
  る。地元の人々はもちろん我々のような
  観光客も結構いる。

  この修道院は1131年にポルトガルの
  初代国王、先ほど出てきたアフォンソ・
  エンリケスによって建立されたコインブラ
  にはふさわしい由緒あるものである



     (コインブラの全景)
                              
     私はしばらく広場に集まる人々を眺めていた。
    その後もと来た通りを引き返し、更にモンテー
    ゴ川まで出る。長い橋を歩く。橋の上から振り
    返ってコインブラ大学の見える街を見上げる。
    時々小雨がパラパラとする。

    川岸では何人かの地元の人達が魚釣りを楽
    しんでいる。川幅の広いモンデーゴ川の流れ
    は先ほどの土砂降りのせいか茶色に濁り釣
    れそうには見えない。私が橋の上からカメラ 
    を構えるとこちらに気付いて皆が見上げる。
    集合時間にはまだ少し時間があったが雨に
    でも降られたらとホテル・アストリアへ急ぐ。

    クラシックなホテルで入ってすぐのロビーは狭
    かったが左手奥の部屋にはいくつものソファ
    ーがあった。すでに同じツアーの女性二人が
    そこでコーヒーを飲んでいた。私も声をかけて
    同じテーブルに座る。時間を気にしながら私も
    「コーヒーもう一つ。急いで」
    とボーイに頼む。
                                     (モンデーゴ川の釣り人) 
  
  

 結局私がコーヒーをご馳走になった彼女達
 は後に世田谷の玉屋さんと杉並の谷口さん
 とうかがった。

 夕方5時には街の北の丘に建つ Melia
 Confort Coimbra にチェックインした。
 4星だがダブルベッドのきれいな部屋だった。
 夕食の7時半まではたっぷり時間もあるの
 で先に風呂に入って明日の準備をする。

 夕食のテーブルは3組に分かれていた。
 スープの後のメインはローストチキンでま
 あ食べ易い部類に入る。             

    (Hotel Astoria の玉屋さんと谷口さん)                                   

 
  私達の丸テーブルには10人。男性は私
   と習志野からというご夫婦の事業をして
   いるというご主人の二人。後は女性で昔
   の中学の同級生という東京の3人組み。
   小平からの村上親子。単独の女性2人。
   
   皆さんチョッとマイナーなポルトガルまで
   来ているだけにヨーロッパはあちこちに
   行っている様子。そして話が弾むうちに
   色んな発見がある。20代、40代、そして
   60代(?)と3世代の昭和女子大OBが
   偶然このポルトガルの地で巡り合った。
    
(夕食後ホテルでのお茶の2次会                 
  


その一人が
   「今日コインブラの公園で牧さんがこちらの人と話を
   されていましたね。地元の方と交流ができて素敵です」
   「あ、見られてたんですか。あの人はノルウエーから
 のビジネスマンです」
   「奥さんがお二人を写真に撮っていましたよ」
   「ああそうですか。それは知りませんでした」

   また習志野の夫婦は娘が私の住んでいる浦安にい
   ると言う。一方単身で参加していると言う中年の女性
   は私の会社のある西武線のひばりヶ丘に住んでいる
   と言う。
   


   夕食後はレストランから席を移して話の続きとなった。習志野の彼は部屋に引き上げて
   いたので男性は私一人だった。いつしかロビーの舞台では演奏が始まった。しかし彼女
   達は話に夢中で歌声は届いていなかった。10時を回ってお茶の2次会はやっとThe End。
   私は
   「お茶代は私が添乗員の名前でサインしておきましたからご心配なく」
   と言ってお開きにした。ホテルでのコーヒーや紅茶がおよそ1.5ユーロ(¥200)だから
   こそ出来る技。

   
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