ニューヨークの旅 1981年6月 (2) |
6月20日(土曜日)、ニューヨークへ来て初めて |
(Central Park)
NYとりわけマンハッタン島に限れば広さも限られて いる。ロンドンの様に大きな公園がいくつもある都 会と言う訳には行かない。唯一アッパー・タウンの中 心にはセントラル・パークがある。ニュ―ヨークっ子 には憩いの場所。 一歩足を踏み入れると緑に囲まれ、今までのNYの 喧騒が嘘の様。 中には幾つもの池があり、美術館 や野外音楽堂に小動物園まである。散歩の人だけ じゃなく犬を連れた人、ローラースケートに興じる若 者達と皆思い思いの楽しみ方をしている。 |
昼はタイムズ・スクエアのファースト・フードの店に寄って いた。席を立って出る時に一人の日本人と眼があった。 お互いにえっと言う顔をして声を掛け合った。 旧知の京大の分析化学教室の小山先生だった。私が京 都に勤務していた時のお客さんだ。 「カナダで学会があった帰りなんですよ。貴方はNYで何を ?」 「今出張でこちらに来ているんです」 「そうですか。何十年ぶりですか。びっくりしました」 「本当に奇遇ですね」 |
(NY Public Library)
翌6月21日(日曜日)はマッハンタンの南端
バッテリパークへ地下鉄で出かけた。6月の 下旬だが強い陽射しでハドソン川の川面は 眩しかった。 その先には小さなリバティ島が 浮かび自由の女神像も充分捉えられた。 ここからフェリーで僅か15分ほどの距離だが 沢山の人たちが次ぎの出発を待っていた。 あえてリバティ島までは行かずしばらくバッテ リー公園で休んでいた。 |
(Battery Park)
バッテリー公園から世界貿易センタービル はもうすぐそこである。マンハッタンをしばら く南に上がる。この時で8年ほど前に建った 世界で最も高いビルだったと思う。日系のミ ノル・ヤマサキ氏設計のNY新名所の一つだ。 NYと言えば摩天楼と言われその代表はか つてはエンパイヤ―・ステート・ビルだった。 貿易センターは確か8階高い110階建てで ある。 |
(Ferry Boat)
この時から丁度20年後の2001年9月11日の朝、 あの悲劇が起ころうとは想像だにしない。 1階で乗ったエレベーターはまるで瞬時かと思わせ る速さで110階に到達していた。特に耳に強い圧 力も感じない。その性能の良さは印象的だった。 展望台からのビル群はむしろ低く見えた。マンハッ タン島からブルックリンをつなぐブルックリン橋とマン ハッタン橋が眼下に見えた。もちろん自由の女神の 小さなリバティ島も見える。ただこの時には曇ってき ており少し視界が悪かった。その分展望台からの 写真はどれも映像の出来が悪い。 |
(World Trade Center)
週があけて6月22日(月曜日)は汽車でフィラデルフィアへ日帰り出 張。翌23日(火曜日)はニュージャージ州テネフライに車で出かけ た。アメリカの雑誌取次社 EBSCO 社へ。副社長のA.ブロック氏を 訪ねる。彼等の予約業務、海外への配送業務のシステム化を確認 した。 午後3時にはNY市内に戻りバンダービルト街のエルゼビア・ノース・ ホランド社を訪問。NY最後の一日になる。オランダ系の学術出版社 でC.エリス社長を訪ねた。初対面であったが大いに歓迎された。 |
(Adult $2.50)
夜は塩野支配人も加わり、馬上君と三人で初めてのチャイナ・タウン に出かけた。マンハッタンでもかなり南になる。一歩足を踏み入れると 漢字ばかりでまさに中華街。彼等の話ではここにはマフィアも一切足 を入れないと言う。もっともこのすぐ裏手に確かリトル・イタリ―がある はずだ。 |
塩野君の話では美味しい蟹を食わせる店が あると言う。酒は持ち込みと言うことで缶ビ ールを近くの酒屋で買い込んで持参。変わっ たシステムだと思いながら付いて行く。 彼はアルコールが強くビールが足りなくなっ て又買いに出た。私も久しぶりに蟹が美味し かった。 |
(China Town)
翌6月24日(水曜日)およそ10日間のアメリカ東海岸の 諸都市を訪ねる慌しい日程を無事終えた。しかし出張の 予定が終わった訳ではない。この後西海岸へ出てサン フランシスコで日米合同販売会議が控えていた。 12時発のアメリカン・エアライン 007便でNYを発つ。 |