San Francisco 1981 (2)
 San Francisco 1981 (3)
 San Francisco 1985  (1)
 San  Francisco  1985(2)
 サンフランシスコの旅 
         1981年6月 (1)

   

    6月24日(水曜日)、10日間のニューヨーク滞在を
    終えて西海岸へ飛ぶ。American Airlines 007便
    12.00発。
    『飛んでも飛んでも陸続きのアメリカ大陸を東から西
    へ、途中眼下に雪を頂くロッキー山脈を越えたが、海
    を見ることなく5時間余飛び続けて午後を回ったばか
    りのサンフランシスコの空港に到着。時差は3時間あ
    る。国内便でほとんどの乗客はアメリカ人、それも東部
    の人達か。空港に我々の飛行機が着いた時、機内から
    期せずして拍手がおき、「ブラボー!ブラボー!」と前か
    ら後から感激の声が上がった。私は意表をつかれちょ
    っと驚いた。

    当時の日本はまだ充分な国内の航空網は敷けていなか
    ったが、アメリカにあっては飛行機は当たり前の乗り物と
    言う私の固定観念を打ち破った。そうかアメリカ大陸横断
    彼等にとっても感激のフライトなんだと思いも新たにした』
        

   (JackTar Hotel)                     

   

  
   米国の公的機関BIOSIS(生物科学情報
   サービス)と日本のエージェント・洋書輸
   入業者4社とのannual meeting。この年
   からアメリカと日本とで交互に販売会議
   が開催された。我々の宿舎は会議会場
   と同じジャックター・ホテルに用意された。
   このホテルにはかつて日本の皇太子が
   も宿泊されたと聞いた。

   私がNYからチェックイン夕刻にはBIOSIS
   のDirecter Mr.Arthur Elias と ユーザ
   ー・サ−ビス部門のヘッド Miss Nancy 
   Vauupel はフィラデルフィアから着いて
   おり再会した。  





   








   
                       
                              
                           From Left:Maki,Nancy,Mr.Akitomi(Maruzen),Elias,
                             Mr.Masaki(Midori Shobou)& Mr.Ohkubo(USACO)



  
                                     


翌6月25日(木曜日)ホテルの会議室で2日
間の合同会議がスタートした。BIOSISの新し
い商品情報、サービスの紹介。来年度の価格
なども提示される。この1年間の日本での販
売実績の分析とその評価がなされる。双方か
ら問題点の指摘がなされ来年度の販売目標
が検討される。

とりわけ二日目の午後は4社が個別の会議
になり日本の各社代表にとっては販売実績が
問われる最も厳しい時間になる。




    (Ghirardelli Square)
                                        
                                           

    初日の会義が終わって夜はBIOSIS側の招
    待で街に出て夕食。ホテルのあるGeary 
    St. を海に向かってVan Ness通りを北に
    まっすぐ歩いてギラデリー・スクエアに出
    る。ここは元チョコレート工場の跡地に出
    来たショッピング・センターという。

    The Mandarin という中華レストランに入
    った。ほとんどなじみのメンバーであり再
    会を祝して乾杯。緑書房の正木氏だけは
    大阪からの参加だった。食事の後はやっ
    と暗くなりだしている海岸まで皆で散策す
    る。気持ちよく夜風に吹かれて。
        (Japan Town)
    

    26日(金曜日)、2日目の販売会議を終えて日本人の
    4人はサンフランシスコの街に出た。Geary 通りを東へ
    歩きダウンタウンの中心ともいうべきユニオン・スクエア
    へ出る。ショッピング終了後7時には日本人街へ。

    1968年(昭和43年)に日本文化貿易センターがオー
    プンして日本人街のベースが出来た。翌1969年には
    Kinokuniya SF Store もオープンした。私は会議に参
    加した同業3社の人たちと店を訪ねる。

    夜には長坂店長の招待で若い葦名副店長にヘイアン・
    インターナショナル出版の湯川社長も加わり7人で地元
    日本人街の和食レストランに集まった。2次会はクラブ。
    正木氏が飛び入りでマイク2本を使いこなした熱唱はさ
    さすが大阪人の面目躍如。
    

  
(Kinokuniya SF Store)                        

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