ワシントンの旅 
1982年6月


  


6月13日(日曜日)午後1時小雨の中、ニューヨーク
のラガーディア空港からからシャトル便でワシントン
へ入る。空港から馬上君と二人でタクシーでホテル
のDupont Plazaへ向かう。

チェックインのあとホテル近くのコーヒー・ショップに
出かけて遅いランチを取る。ホテルの近くには地下
鉄のデュポン・サークル駅がある。


   (Hotel Dupont Plaza)       

    

  
  天気は今一つだったが未だ日も高いのでメトロで都心 
  に向かうことにした。地下鉄のシステムはニューヨーク
  とは少し違っていた。トークンと言うコインを買うのでは
  なく自販機でカード式のチケットを買う。最近では東京
  の地下鉄でも普通に使っているパスネットと同じである。
  乗った分だけ差し引かれていく。20年以上前では珍ら
  しかった。


       (Dupont Circle, a Station of Metro)
 



     
デュポン・サークルの駅はとても深かった。首都ワシントンで
はイザと言う時の核シェルターの役割があると聞いたことが
あるが真偽のほどは知らない。核に対してはともかく防空壕
の機能はあるだろう。

近くのメトロ・センターで降りてホワイト・ハウスへ足を運ぶ。
確か65セント位だった。日曜日であったが天気のせいか
観光客もほとんどいない静かなホワイト・ハウス前。おのぼ
りさんよろしく記念撮影する。


(A Ticket of Metro)

                             


 

 
  翌6月14日(月曜日)はメリーランド州のBethesdaへ 
  出かける。ワシントンDCからは隣の州で遠くはない。
  FASEB Federation of American Societies
  for Experimental Biology(アメリカ実験生物学会
  連合)のビジネス・マネジャー、Austin  Henry 氏
  に面談。

        

                    (White House)
  

  午後馬上君は風邪気味で少し早めにワシントンに
  戻った。一旦ホテルに帰り私は一人都心に出向く。
  昨年の出張では遠目に見ていた国会議事堂を訪ね
  る。すぐ裏手には Library Congress 国会図書
  館もある。折角の機会であり私は National
  Gallery of Art 国立美術館を訪ねる。


  夜は彼も部屋に呼びルームサービスを取って二人
  で夕食。
    










     (Capital)

                                        (National Gallery of Art)
                                     

   6月15日(火曜日)はヴァージニア州 Arling
   tonのAmerican Psychological Associa
   tionアメリカ心理学協会を訪問。マーケテイン
   グ担当ディレクターPayne氏とMs.Mahoney
   に面談。全米心理学会の元締めであり、長年
   取引があっても我が社からは初めての訪問で
   ある。         

 
  (Mr.Gregory Payne,Maki & Ms.Mahoney)

 

  
   多いに歓迎されランチに招待された。

  
オフィスの 近くのフランス料理のレスト
   ランであったが紹介されたシェフが日
   本人であったのはチョッと驚いた。

   ワシントンに戻ってもう一ヶ所USBE
   訪問を予定していた。USBEが何の
   略称だったか今は覚えていない。ただ
   GPO米国政府印刷局の既刊雑誌類
   のバックナンバーを大量に保有してい
   る民間業者であった。当時日本への
   未着トラブルが頻発してGPOは補充が
   難しかった。それだけにUSBEのスト
   ック、今後の補充態勢に期待していた。
         


                              
(The Japanese Embassy in the U.S.)
                                       

  しかしそのUSBEへ辿り着くのに大変だった。 
  アドレスを見て走り出した黒人のドライバーが
  それから1時間もワシントン市内を走り回る
  羽目になろうとは。会社自体の住所が言わば
  大きなウエアハウスであった。同じ道を何度
  走ったことか。

  ワシントン自体黒人住民が圧倒的に多いが
  タクシーが走り回った町もまさに黒人居住区
  の感があった。もっと早く先方に電話を入れ
  させれば早く解決したのにと思った。
  これだけ走ってタクシー代は一体いくらにな
  るか。何と$6.00だった。ワシントンのタク
  シー代金システムは日本の様に走行距離で
  はなくエリア統一料金だった。一定エリア内は
  距離に関係なく同一料金だった。















   (The British Embassy in the U.S.)


  
夕刻ホテルに戻ってから一人で散策に出た。ホテル近くのデュポン・サークルからロ
   ック・クリーク川の流れると言うマサチューセッツ通りをどんどん先に歩く。車以外全く
   人影を見ない静かな道になった。しばらく行くとそれぞれ個性的な建物が軒を並べて
   おり、皆旗がなびいている。何だろうと思ったがここは首都ワシントンだ。この通りは
   まさに世界各国の大使館が集中していた。
  
 

    翌6月16日(水曜日)は American Geophysical Union アメリカ地球物理学協会を訪
    ねた。ワシントンのフロリダ・アヴィニューで実はホテルからは歩いてでも行ける距離だっ
    た。マーケテイングのマネジャーCeil Tischier氏に初めての面談。
    午後にはホテルからユニオン駅へタクシーで出るとワシントンから汽車でバルティモアへ。


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