中山市を訪ねる
ちゅうざんし 
 1985


        マカオの翌朝はビザなしで中国本土へ日帰り観光である。1985年当時は
       まだ中国本土は共産党の社会主義国家と言う固いイメージが強く私は入国
       自体ある種の緊張感があった。

                                    
                                
 写真上左: マカオと中国本土の広東省と
 の国境関門。ポルトガル人が居住を始めた
 16世紀半ばから。現在の石門は1870年
 に出来た物。ここで入国手続き。
 マカオからの日帰り観光コースは朝8時出
 発して夕方6時半に戻ってくる。
 料金は HK$320x¥30=¥9,600

 写真上右&右: これはPearl Landと言う
 日中両国合弁の事業と言う。新しく出来た
 遊園地である。まだオープン前だったか中
 に入った記憶はない。

 写真上: 翠享村(チョイハンチュン)の孫中
 山(孫文)の旧家。左は入り口。 右は旧孫
 文家の応接間。
 写真左: 孫文を記念したエリート校、中山
 記念中学。

 孫文の出身地にちなんで中山市としている。
 ここから70キロ北の広州市にも中山記念堂
 がある。
 写真右: 孫文旧居入場記念券。
 写真下: 中山県の首都,石岐
(しき)の中山温
  泉郷。 こちらで昼食。土産物店などもある。

  〔中山県は現在は広東省中山市〕


          中国最後の訪問地は人民公社。1958年頃から始まっていた中国の集団
         農場。経済と行政が一体となった「政社合一」の組織。ただツアーの一行が
         案内されたのは貧しい一軒の農家。実は我々が訪れた1985年、毛沢東が
         亡くなって既に10年、人民公社は解体が始まっていたことは知らなかった。
 

    


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