Paris 1980 |
ロンドンのホテルに
スーツケースを置いたままオランダとフランスの駆け足の出張をしていた。アムステルダムから1時間ほどのフライトでパリに入った。
ホテルはパリのど真中、
グッチやローラ・アシュレイも近くにあると言うサントノーレ通りのホテル・ショワズール。ヴァンドーム広場の横にあった。近くにはあの名門ホテルRitzもある。
しかし少し早い時間にチェックインしたが洗面に髪の毛が落ちている。そればかりか濡れたタオルまで置いてある。私はなんと英語でクレームすべきかと考える間もなく
受話器を取ってフロントに抗議していた。それでもガイドブックではエレガントな4星ホテルとなっている。
(Hotel du France et Choiseul 1980)
6月25日(日曜日)にパリに入ったが,実は翌26日がバンク・ホリデーでフランスは休日だと言う。パリで思わぬ連休とは言えお店はほとんど閉まっている。 午後初めてのパリを立地の良いホテルから歩き出した。最初に行ったのが有名なオペラ座。 広いオペラ大通りの正面突き当たりに豪華なドームの劇場がある。それが19世紀の後半に13年かけて建てられたと言うオペラ座。現在はバレエ専用の劇場になっている。 今は一筋脇の通りに移っているパリ三越もこの時には劇場のすぐ手前のビルに入っていた。 |
(Jardin des Tuilries
1980)
次に訪ねたのはオペラ座から西へマドレーヌ寺院。18世紀前半にフランス軍をたたえてナポレオン1世によって建てられた寺院。太い52本の石柱が取り巻くギリシャ風の壮大な神殿のような建物である。
そこから南へ少し下がってコンコルド広場。広場には2基の噴水がありそれをバックに写真を撮る家族連れ。中央には19世紀のはじめにエジプト太守から贈られたと言う高いオベリスクが立っている。
この広場からは西へはシャンゼリゼ通りで正面には凱旋門が見える。更に南を見ると遥かにエッフェル塔が見えた。
コンコルド広場の続きがチュイルリー庭園。
庭園の丸池では
親子が玩具の舟を浮かべて遊んでいた。カルーゼル広場を
抜けるとルーブル美術館だ。実際に館内に入ったのは翌日
だった。
ホテルのあるサントノーレ通りがオペラ大通りに交差するすぐ
手前にOSAKAと言う大きな横文字が目立つラーメン亭を見
つけた。私はラーメンを食べたが餃子やカレーも作っていた。
狭い店はほとんど日本人でチョッとびっくりした。まだヨーロッ
パでは日本食は結構珍しい時代だった。
6月26日(月曜日)、いささか眠い朝。昨晩はホテルの中庭で遅くまでパーテイーの笑い声が響いていた。幸いバンク・ホリディーと言う名の休日。パリは晴れ。 今朝は歩くには少し遠いシャンゼリゼ大通りの凱旋門へ。初めてのメトロを使って出かける。凱旋門を中心に12本もの通りが正に放射線状に全パリ市内に広がっている。沢山の車がそのサークルを回っておりその一帯は空港と同じく、 かつての大統領シャルル・ド・ゴール広場と呼ばれている。 私が日本人の青年にあったのはその広場だった。2人は日本のメーカー井上通信機(現アイコム)のビジネスマンで当時の西ドイツのデュッセルドルフから連休を利用してパリまで遊びに来ていると言う。小林氏と小沢(コザワ)氏と名乗った。 |
火曜日パリでの初めての仕事はフランスの雑誌の大手エージェントのドーソン・フランスを訪問。もちろん取引先の一つであるが担当部長とは初対面だった。彼は幸い英語が話せて助かった。ランチにはオフィス近くのレストランに案内され舌平目のムニエルをご馳走になった。 その後はフランスの老舗出版社ドゥノー・ゴーチェ・ヴィラールを訪ねた。1835年創業の科学書の版元。 デイレクターのムッシュ・オジェに面談。彼は英語を話さず輸出部のサロメ女史が通訳をしてくれた。フランス語と英語が飛び交う商談は私には初めての経験だった。彼女の英語で救われた。写真右は雑誌部のジョリー。 |