FRANKFURT Book Fair (1) |
B 1991年10月 |
私の所属したK社は本社からは担当役員始め6 名のスタッフが参加。近年国内外でもCD−ROM やデータベースの商品もニーズも高まってきてい た。従来の紙に替わるメデイアが注目され出して いた。 私は新しく出来たマルチメディア部を担当 していた。 海外の支社や支店からも応援を兼ねて参加して いた。ロンドン,ニューヨークのオフィスからは2 名ずつ。シンガポールとジャカルタからも責任者 が来ていた。 写真左; ブックフェア会場前風景 |
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例年ブックフェアの時期は世界中から人が集まる のでなかなか市内の気のきいたホテルは予約が 取れないと言う。そして部屋代も高い。インターコ ンチネンタルも1泊550マルク。税金は約14%で 630マルク程。マルクのレートは確か95円ほどでし た。フランクフルト中央駅にも近いマイン川の辺で 当時西武が経営権を買収したと言われていた。 |
Hotel Frankfurt Intercontinental |
写真上; ホテルの横を流れるマイン川 写真左;フランクフルト中央駅構内 |
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フランクフルト到着翌日、月曜日の朝には市電に 乗って見本市会場に来る。東京から送り出してい るブースの開梱。この荷物がまた頑丈な梱包で開 けるのに一苦労する。又そのパネルの組み立ても 大変。皆なれない作業に終日汗を流す。 写真左から; 本社の牧、葦名、鎌田各氏にNewYorkの金子氏 火曜日はドイツでのSTM(科学・工学・医学)総会 に出席し、 午後からは各地から集合した自社のス タッフ全員での打ち合わせ会議。 |
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スタッフ会議終了後は世界各地から集った皆で マイン川を渡ってザクセンハウゼンに出かける。 ここはアップフェルバインと言われるりんご酒で 有名な里。狭い路地に酒場が軒を連ねている。 路地には歌声さえ聞こえる。初対面の仲間もソ ーセージを片手にワインをあける。 写真; 左からジャカルタ川上店長、本社洋書部鎌田課長、 マルチメディア部長、葦名洋店部長、シンガポール森支配人 |
水曜日からはいよいよフェアがスタートした。自社のブースは必ず2名ず つは応接にあたり、他は事前のアポイントメントに従って先方のブース を訪ね商談を重ねる。もちろんこちらのブースを会談場所として訪ねて くれる人もいる。 左からシンガポールの森支配人、ロンドン鳥山事務所長 東京本社マルチメディア部長、吉本専務取締役 |
週の前半は業界関係者のみの会場も後半からは地元ドイツの一般客もドーと押しかけ、
会場は一層熱気に包まれる。1991年のブックフェアは世界95カ国から約8000の出
版社が参加し、1週間の入場者は17万人を記録していた。ちなみにこの年のテーマは
スペインだった。
幾つもの建物に分かれた会場はとてつもなく広くブースからブースの移動も容易ではない。
そんな広い中で日本から来ている他社の人たちと偶然出会うとまた立ち話になってしまう。
私自身もMicrofilm、CD−ROM、CD−I,Slide, Videoなどイギリス,ドイツ,オランダ,アメリカ等の 出版社やメーカーのブースを訪問した。ニューメデ イアの世界の動向は私が期待したほどには新しい 展開は発見出来なかった。 むしろ出版社ではないがオランダのPhilips社は コンシューマー向きのCD−Iを立ち上げていた。 他にもニューヨークのコロンビア大学出版局や英 国の British Libraryのブースでは興味ある話が 出来た。ほとんど初対面の人が多く、東京でもお 会いした旧知のスタッフに会うと懐かしかった。 写真右; オランダのフィリップ社のブース |
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写真上; フランスの或る出版社のブース ブースによってはコーヒーやワインでのもてなし もしていた。残念ながら日本からの我々のブー スは12名が皆男ばかりの所帯でおよそ来客へ の茶菓の接待は出来なかった。 |