FRANKFURT Book Fair (2)
       1991

私にとって始めてのブックフェアはいかに多忙であってもそれは公私ともに興味
尽きないフェアであった。絵画や美術・デザイン関係のブースもあり地元ドイツか
らも楽しい出展があった。






1991年のフランクフルト市内風景


 フェアの会場は朝9時からオープンして
 夕方6時まで。しかし店仕舞いして1日
 が終わりではない。
 実は毎晩地元ドイツを始めアメリカや
 イギリスの大手出版社はパーテイーを
 主催していた。
                              
              
 写真; 右 &左 いずれも美術、デザイン関
  係社のブース
                                             
 東京に既にそれらレセプションの招待状は届いて
 いた。日によっては掛け持ちで会場のホテルを梯
 子して回った。しかしこれらのパーテイーは世界的
 な出版社主催ではあるが、 いずれも大変アカデミ
 ック出版社で総じて地味な会が多かった。
 
 皆片手にグラスを持って静かに語り合うと言ったも
 ので、 ワインやビールに事欠く事はなかったが、日
 本での立食パーテイーのように豊富な食べ物はな
 い。例えばカナッペとかチーズ、せいぜいハム位で
 ある。

ドイツ出版社のブース
私達はパーテイーの帰り道お腹をすかしてデュッセルドルフ通りの中華レストラン・パンダへ向かった。

表の看板には『熊猫』と書かれていた。ここで改めて自前のビールを酌み交わし、麺をすすって疲れを癒した。前年も参加していたスタッフはこのコースをよく承知していた。

K社ブース前の私
 メニューの点心では Gedäte Schweine-
 fleischköß,英語ではSteamed minced
 pork and prawn dumpling. 中国語を見れ
 ば焼売 である。これが4.50マルク。
 Nudeln mit gerösteter Ente. 英語では
 Noodles with roast duck. とあるので
 すぐ判る。中国語では焼鴨労麺。これが
 15.00マルクといずれも高くない。 ヨー
 ロッパ・ツアーで来ている中国人達もいた。


  写真右St-Katharinenkirche




K社ブースにて
写真;左からジャカルタ川上、ロンドン鳥山、東京本社吉本、牧、奈尾、葦名
ニューヨーク金子、シンガポール森の各氏


                                      

                                         



 もちろん毎晩中華では芸がないので、今年もニュ
 ーヨークから参加している金子支配人は有名な
 市庁舎前のレーマー広場のドイツレストランへ案
 内してくれた。ここでは初めてVenison言われる
 鹿の肉を生で食べたが結構美味しかった。
                                                
          

 写真左; ブックフェア会場入り口前
 日ごろ一緒に仕事をする事のない海外各地から
 の若い人達とは話が尽きない。昼間の疲れも忘
 れて遅くまで飲んでいた。皆それぞれ海外の厳し
 いビジネス環境で働いていたが、例えばジャカル
 タの川上支店長は朝10時から夜の10時まで働
 く事もしばしばと言うが、仕事が終われば専属の
 運転手が送り迎え。 プール付の自宅にはメイドが
 食事を作って待っていると言う。彼は東京に戻る
 とそのギャップに苦労するだろう。


Johan Wolfangvon Goethe
 フェア最後の夜はいつものパンダで遅い夕食を
 済ますとその後はパーク・ホテルのバー・カサブ
 ランカに集まり打ち上げをした。
 明日か明後日にはまた皆それぞれの任地へ戻
 ってゆく。短い協同作業の日々だった。ホテルも
 東京組はコンチネンタルに戻ったが皆それぞれ
 のホテルに泊まっていた。

  写真左; Mr.Ashina,Mr.Nao & I at
  
Hotel Intercontinental 1991
 1991年10月6日に成田発でフランクフルトへ
 やって来た。いつも一人のフライトに今回は珍
 しくK社の同僚数名と一緒。ルフトハンザの2階
 席で賑やかに。帰国便は14日。帰りは皆各地
 へ散り、私は一人JALで成田へ戻る。
 10月15日 無事帰国。10日間の出張中は土、
 日そして夜間も業務の延長で全く観光の閑は
 なし。


へ戻る     Topへ戻る