ミラノ を訪ねる

 1997年9月

ベローナからおよそ140キロ、イタリア北部の大都会ミラノには午後7時40分頃に到着。翌日は朝8時ホテルを出発し、 半日の市内観光。そして午後からは自由行動と言うスケジュール。

朝一番に訪ねたのがサンタマリア・デッレ・グラツイエ教会。フィレンツエのウフィツイ美術館同様日によっては大変な列が出来ると言う。それと言うのも実はあの有名な壁画があるからです。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」です。

その上一度に入場できる人数は厳しく制限されているからです。私達は朝早かったせいかほとんど並ぶ間もなくスムーズに入場できたのは幸いでした。

   (Santa Maria delle Grazie 1997)

この教会は15世紀後半に建造されておりダ・ヴィンチの壁画はこの教会に隣合わせの旧ドメニコ派修道院の食堂に描かれた。1495年から2年がかりで左右8メートル、高さ4メートルと言う大きな壁面に描かれたテンペラ画である。

湿気のためにカビが生え過去に何度も修復がされているが、我々が訪ねた時期も実は大掛かりな修復中。壁画には部分的にライトを当てて画工が細かい作業をしていた。写真撮影は許されていたがもちろんフラッシュをたく事は出来ない。下から見上げて三脚なしで何とかシャッターを切る。 中学時代の社会科の教科書に載ってい

た「最後の晩餐」の白黒の小さい写真を思い出していた。

その後訪ねたのは14世紀ビスコンテイ領主が創建したスフォルツェスコ城。城の内部は現在では考古美術館と考古学博物館になっている。ここで特に見逃せないのがミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」と言う彫刻である。館内では写真撮影は可能だがやはりフラッシュはたけない。

16世紀半ば晩年のミケランジェロは84歳でこの彫刻に着手した。ほとんど見えない目で大理石を彫ったと言われるが1564年未完成のまま彼は89歳で生涯を終えた。

ローマの初日、バチカン市国のサンピエトロ寺院で見た彼の23歳から25歳に掛けて作られた「ピエタの像」を思い出す。あの作品は聖母マリアが十字架から降ろされたキリストをわが膝の上に抱きかかえていた。
ここで見るピエタは崩れ落ちそうなキリストを後ろからマリアが何とか抱き支えて

    (Castello Sforzesco 1997)

いるように見える。私には己の死と向き合ったミケランジェロ自身の姿が二重写しになって見えた。ここでは観光客も少なく私は独り静かにピエタの彫刻と向き合った。

             ミラノの午後,自由時間になって最初に訪れたのが
オペラのメッカ,スカラ座である。実はこの日はあいにくオペラ座内部の見学が出来なかった。かわりに隣の音楽博物館を見学した。2階の窓からダ・ビンチ像の立つスカラ広場を写真に撮る。                            



                                

この日9月26日(金曜日)、イタリアツアー最後の観光日。スカラ広場から高い天井のアーケードを抜ける。両サイドには気のきいたカフェや高級ブテイックが軒を並べる通り。19世紀後半12年を掛けて完成したとされるこのアーケードの名称はビットリオ・エマヌエレ2世ガレリアと言う。















  (Galleria Vittorio Emanuele II 1997)





             
                               (Duomo 1997)
このアーケードを抜けるとドウオーモと呼ばれる大理石の巨大な大聖堂の前に出る。正面の幅は90メートル余もあると言う。その高さは聖マリア像の立つ尖塔まで含めて108メートルに及ぶ。ローマのサンピエトロ寺院についで世界第2位の規模と言う。

正面左の立派な建物に赤地に黄色のMの字が異様な旗はマクドナルド。今やモスクワにもはためく旗であって見れば今更何も言えない。それよりむしろこのドウオーモ広場に出没すると言う子供の引ったくり集団に注意すべきか。

我々4人もエスカレーターを使って8階まで上がった。ドウオーモの屋上は結構広く多くの人が上がって来ている。日本人も見かける。林立する尖塔には聖人であろうかそれぞれ人物が立っている。中央のひときわ高い尖塔には金色のマリア像が見える。 この屋上からはまさに360度ミラノ市内が見渡せる。
もちろん眼下にはドウオーモ広場が広がり沢山の人々と鳩の群れ。












           
      (左から:安野さん(現東夫人)、安野さん、牧 & 種瀬さん)
                                                                          
午後の自由時間ではオペラ座近くのバールに立ち寄った。もちろんビールやワインも飲めるが私達はソフトドリンクを飲んだ。明日はミラノを発つので今日はイタリア最後の1日になる。店は空いており主人に記念のシャッターをお願いした。                                                                             






夕方になったミラノの街。場所はメトロの駅のあるミッソーリ広場。路上でのパフォーマンスに人々が足を止める。私自身も足を止めると通りの脇でカメラを構えた。

一方では明るいショウウインドウの大きなガラス張りの中ではメーキャップの実演中。これもすかさずシャッターを切る。いかにもファッション最先端のミラノらしい街の風景である。


9月27日(土曜日)最初の予定ではミラノ発のフライトは夜8時50分であった。丸1日のミラノフリータイムのはずがエール・フランス便がオーバー・ブッキングのためキャンセル。
結局午後2時10分のJAL410便に半日の繰り上げ変更。ホテルからのバス出発は午前11時15分となった。

最後の朝、このミラノ郊外のホテルの近くを独りで散策した。たわわにに実った稲穂の畑を見つける。帰り道には小さなスーパーを覗きイタリア・ワインの大きなボトルを発見。

JALになったお陰でパリでの乗り継ぎはなくなり成田へはノンストップ。当初の夜6時成田着は、朝9時20分には到着したため名古屋や四日市に向かう安野さんと種瀬さんにとってはかえって良かった。









(ショウウインドウ)











                      
         
(スーパーの見事なワイン・ボトル)

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