スペインの旅 ESPANA  

 

 マドリッドを訪ねる
         1996年9月
                                         
Madrid      
Toledo
Granada    
Mijas,Malaga
Balcelona

  







   ヨーロッパ夢紀行。「アルハンブラ宮殿・ミハス・
   バルセロナ・マドリード8日間」という名のツアー
   に参加したのは9月27日(金曜日)。私にはス 
   ペインは初めての旅になる。

   午前11時成田発のイベリア航空。最初の寄港 
   地はロシア。私にとっては個人的な想いのある 
   モスクワ。スペイン旅行の紹介はモスクワ空港
   からスタート。空港の店の一部は閉まったまま
   だった。それでもかつて聞いていた話からすれ
   ばそれなりの明るさはあると言える。しかしお
   世辞にも活気があるとは言えない。


                                                  
実はスペインに入ってバルセロナ経由は予想外だった。日本人も含め大半の客はバルセロナで降りてし
まった。しかし我々のツアーは更にマドリッドへ向かう。ほとんど客が入れ替わり丁度国内便になった感じ。
この間1時間半の停車。マドリッド到着予定は9時20分であったが既に11時になっていた。Hotel 
Convencionに着いた時には深夜12時。




         
                                        
 翌29日は午前中一杯はバスでマドリッド市内観光。
 プラド美術館からスタート。美術館自体は19世紀
 始めに出来たものだが、収められている絵画は16、
 17世紀の作品が主体。とりわけ地元スペインの画
 家エル・グレコ、ゴヤ、ベラスケスの作品は揃っている。
 有名なゴヤの「着衣のマヤ」と「裸のマヤ」にはさすが
 人が群がっていた。


 左の写真の2枚目はツアーで入った時のプラド美術
 館の入り口だった。ところがフリーの翌日レテイロ公
 園を抜けて植物園に寄り道したが、その正面がよく
 見るとプラド美術館とあり左の写真(1枚目)である。
 明らかに2枚目の建物とは別物であるが、こちらが
 表であろうか。最もプラド美術館には別館もあると聞
 くが、定かでない。                      
                            



スペイン王宮はとても大きな立派な建物であった。18世紀後半に26年掛けて完成している。ブルボン家が栄華を極めた時代に造営されており2800に及ぶ部屋から成り立っている。今回のツアーでは残念ながら中には入らなかった。王宮前の広場の左脇のフェンスに近づき、その先を見ると遥か眼下に広大な緑が広がり、町を包んでいる。



     
     (Palacio Real 1996)



                                          (Calle de Alcala 1996) アルカラ通り
スペイン文学は私達日本人には馴染みが薄いが「ドンキホーテ」だけは別格である。スペイン広場にはロバに跨ったドンキホーテとその従者サンチョ・パンサの銅像が建っている。そして彼等の後ろの台座にはその作者セルバンテスの坐像が2人を見下ろしている。

翌29日(日曜日)は夕刻6時半のフライトでマドリッドの真南にあるグラナダへ向かう。それまでは1日中全くのフリー。私は今朝は7時に起床し早々とホテルのレストランに出かけた。食事は他のヨーロッパのホテル同様バイキング形式。私がたまたま同席したスーツの男性と挨拶を交わし、彼はアメリカのテキサスから商用でこのマドリッドに来ていると言う。

私は朝9時にはマドリッド都心のホテルを出る。アルカラ通りをレテイーロ公園に独り歩いた。朝陽の差し込む公園の木々の間を歩く。気持ちの良い朝のひと時。日曜の公園の中をランニング姿で掛けて行く青年。まだほとんど人影はない。
(Plaza de España 1996)

広いレテイーロ公園を抜けるとタクシーをひろい,今日の目的地の一つマヨール広場へ向かう。タクシーに乗ってすぐ車窓から左手にスペイン鉄道の大きなアトーチャ駅が見えた。

マヨール広場は濃いオレンジの4階建てが周囲を取り囲んだ四角い広場。17世紀の初めにフェリペ3世が建造し、以来マドリッド市民の広場とされてきた場所。建物の一部は工事中でちょっと薄汚れた印象を受けた。丁度今朝は自転車競技のスタート地点になっており人でごった返していた。



マヨール広場を出ると下町の裏通りと言った路地を抜けて、通称ソル
広場と言われるプエルタ・デル・ソルに来る。19世紀の初め侵略して
きたナポレオン軍に抵抗して市民が戦った場所である。この広場の
周りはデパートやマドリッドの老舗やレストランが建ち並んでいる。今
日も観光客の群れ。

とても天気のいい一日で私はここから広いアルカラ通りをシベーレス
広場に向かって歩く。シベーレス広場の右手にはまるでお城のような
白亜の立派なビルを見る。なんとよく見るとそれはマドリッド中央郵便
局だった。

     (Metro;Banco de España 1996)

シベーレス広場を右折してカステリャーナ通りに入る。しばらく歩いて右手にゴヤ生誕250周年のおおきな垂れ幕の下がったテイッセン・ボルネミッサ美術館を見つけて中に入る。

この時点でオープンしてまだ4年と言う新しい美術館ではあるが実はボルネミッサ男爵の所蔵絵画,これを10年間と言う期限付きでスペイン政府が借用して一般公開に及んだと聞いている。とりわけ1階にはモンドリアンやダリ、ミロと言った現代画家の作品が目立った。

昨日のツアーのプラド美術館と違って独りでのマイペースの見学。偶然訪ねたこの美術館では記念に何枚かの絵はがきを買い求めた。

午後遅く一旦ホテルへ戻った。一服したホテルからタクシーで最初に来たのが国立考古学博物館。これも同じカステリャーナ通りにあるがホテルからは大分手前になる。

  (Museo Arquesologico Nacional 1996)

考古学と言う少し地味な博物館であるが若い少年や年配のおばさんも気軽にやって来ている。40からの部屋が古代から19世紀へと時代別に展示されていた。この博物館では「アルタミラの洞窟の壁画」を見ることが出来る。もちろん本物は文字通りアルタミラにしかないが、旧石器時代の人類最古の絵画を精巧な模写で公開していた。

    (国立国会図書館 1996)








先程のボルネミッサ美術館同様に国会図書館にもゴヤ生誕250周年の大きな垂れ幕を見た。単に「裸のマヤ」の作者と言うだけでなく、恐らくスペインの国民的画家として知れているのであろう。

私は博物館の後、レテイロ公園に入っていた。今朝歩いた公園とは気付かないほど広くて多様な公園である。通りに面したレテイロ公園の正門は右の写真のとおり、堂々たる門構えでおよそ市民の憩いの場というイメージとは遠い。                              (Parque del Retiro 1996)

それと言うのも16世紀フェリペ2世の時代の離宮の庭園であったところがこのレテイロ公園だからである。それが19世紀後半には一般市民に開放されたいる。
公園の中の池一つとっても立派な造りであるが、すぐ脇の木陰では南米はペルーであろうか民族音楽を奏でる人々がいた。マドリッドの市民達も楽しそうにそれに聞き入っていた。私自身もしばし足を止めた。



レテイロ公園を抜けるとその続きに植物園があった。
私は躊躇なく200ペセタの入場券を求めると早速中
へ急いだ。何か特別の目的があった訳ではない。9
月末のマドリッドでは白い穂を一杯付けた背の高いス
スキを発見した。















植物園を出たとこが丁度プラド美術館の入り口だったのは先に書いた通り。それをレアルター広場に向けて歩
いていた。丁度右手に緑に囲まれた庭園にテーブルや椅子を並べた気のきいたカフェを見つける。

お茶でも飲んで一息つこうと中へ入る。ゆったりした籐椅子に座って辺りを見渡すと、これは単にカフェと言うよ
りメインの建物があってそれに付属したレストランの一部の様子。

     (Jardin Bontanico 1996)
ボーイが持ってきたメニューでここは天下のリッツと気がついた。いわばマドリッド一番の5星ホテル。私がオーダーしたコークは650ペセタ、クラブ・サンドイッチが1950ペセタだった。スペインではいつも出てくるグリーンのオリーブが皿に一杯に付いてきた。当時のペセタで税金込みでおよそ¥2800ほどになる。
夕刻4時半には私達ツアーの人々はホテルのロビーに集合。バスでマドリッドのバラハス空港へ向かう。6時半のフライトで南のグラナダへ発つ。                                                                                      (Hotel Ritz 1996)
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