センテンドレを訪ねる 
      A  2000年




  7月11日(火曜日)、ブダペストに着いた翌朝。8時20分、ホテル前から全員バスに乗り込んでドナウ川のクルージングに出発。20分程で船着場に。対岸の丘の立派な建物はハンガリー国会議事堂と思われる。

  船には2,3百人は乗っただろうか。9時には出発した。見晴らしの良い2階はもう座る席は無かった。風が結構強く下の階へ降りる。1階で添乗員の持田さんとハンガリー人のガイドを見つけ、丁度空いているテーブルに着いた。

  (Mr.Yosioka,President of Kinokuniya co.,)




  持田さんは偶然にもこの3年前のイタリア・ツア−の時と同じ添乗員さんだった。一方ガイ
  ドさんは30代位の2児の母親で日本語はブダペスト経済大学の時に日本語コースを取 
  ったと言う。7年間もスペイン語の通訳をやっていたが、昨年日本語通訳の資格をとった
  ばかりだと言う。10年位前は日本人観光客はせいぜい年間3千人位だった。ここ3,4年
  で急増し現在は年間4万人にもなるそうだ。
  






  3人で話こんでいたが、ガイドの彼女が
  飲み物を買って来てくれ立ち上がって
  いた時だ。旧知の吉岡氏にバッタリ会っ
  たのは。始め彼を見かけて、誰だ!とわ
  が身を疑った。声をかけて彼の驚いた反
  応を見てこちらも納得した。

  東京ならぬドナウ川の船上で全く予期せ
  ぬ遭遇に、祝杯を挙げようと彼に連れら
  れて売店へ。聞けばポーランドのワルシ
  ャワがスタートで昨日ブダペスト入り。こ
  のクルージングはオプションで参加の由。
  本当に偶然だ。これからの訪問地も同じ
  と言うのでプラハで再会を約す。

                             

      

                           




























                                                                             



                

    
                                (Miss Mochida,Guide,Mrs.Hata,Mrs.Kato,     
Mrs.Mori,Mr.Hata and Maki)














 10時50分、目的地センテンドレに到着。
 ドナウ川の港ではなく、小さな船着場に着
 いた。ここはかつてトルコ人に追われたセ
 ルビア人が住み着いた古い町で、現在は
 ハンガリーの芸術家達も好んで住んでいる
 という。

 細い路地にカラフルな小さい商店が建ち並
 ぶ町。町の中央はサークルになっていて十
 字架の付いた小さな塔が立っている。
 特に何を見るというほどの名所はないようだ。



(Mr. and Mrs.Yoshioka)










   

(Center of Szentendre)



 自由時間になる前にハンガリーの女性陶芸家 
 の作品が集められている『コヴァチ・マルギット
 美術館』に案内された。私は全く知らない陶芸
 家である。すでに故人と言う。

 丁度子供が粘土細工で作ったと言う手触りが
 そのまま感じられた。農民や子供、女などを素
 朴に造形した陶芸品の数々を見ることが出来た。 


  









     
   (Kovacs Margit Muzeum マルギット美術館)












昼食はブダペストへ戻ってからと言うことで12時20
分にはバスが待っていた。帰りは陸路を20キロ程
南に走ることになる。












    (A Path of Szentendre )


          
                                
                                      (A Port of Szentendre)                                                                             へ戻る                  のトップへ戻る