ローテンブルグを訪ねる |
A 2002年6月 |
ハイデルベルグからバスでおよそ125キロの道
程。小さな古都 Rothenburg へ出る。マンハイム
からミュンヘンに抜ける975キロに及ぶ古城街道
と我々のツアーコースのロマンチック街道の丁度交
差点に位置する町。
バスは夕刻まだ明るいうちにホテルのシュランネ(
Schranne) に着いた。外見可愛いこのホテルは通
された自室も狭くて、片隅に小さなシングルベッドが
置かれていた。チョッと侘しくなる風情。
チェクインを済ますと早速ローテンブルグの街中へ
出る。周囲2.5キロを古い城壁が取り囲む中世の
町さながら。
それと言うのも9世紀にスタートしたこの町は12−
14世紀にその最盛期を迎えたが、その発展に貢
献した中継貿易が衰退すると町の発展も止まって
しまった。
(Rothenburg)
しかし今となってはその中世の町並みが観光
資源となって国内外から人が集まる。
ホテルから5分も歩けば街の中心マルクト広場
に出る。ローテンブルグの市庁舎の隣の建物
があの有名なからくり人形の見られる時計塔、
市参事会酒宴館である。
この町を救った17世紀の故事に擬えたマイス
ター・トランク(酒飲み市長)の一情景が見られ
る。しかしそれは一日7回に限られ夜間では
9時と10時の2回。我々は夕食後にも再度や
って来てたくさん集まった観光客と一緒にそれ
を見届けた。
城壁の内側に住む住民は現在4000人ほど
で一方観光客は日に1000人ほど訪れると
言う。
今回のツアーは成田発だが何故か新潟の人達
が多い。と言っても定年退職を機に職場の仲間
と来たと言う4人連れのおばさん達と新婚旅行の
若いカップルの二組だが。そう、それに添乗員の
彼女、島村さんも新潟支社からという。
それはともかく左の写真は夕刻マイスター・トル
ンクの時計塔の前の新潟からの柳隆・久美子夫
妻。地元の村役場に勤める好青年である。
(Mr.& Mrs.Yanagi,Niigata )
翌6月27日(木曜日)はモーニング・コール
7時。しかし6時過ぎにはもう目を覚ましてい
た。今朝も天気は良い。日中は30度近く迄
気温が上がると言う。
バスは10時半にホテルを出発で、それまで
は自由時間。ローテンブルグを取り巻く城壁
に上りたい人は9時から添乗員が案内すると
いうので私を含め10人程が出かけた。
壁の上は狭くて暗く石畳が敷かれていた。市
内の民家の屋根や庭を眼下に見ながらゆっく
り進む。途中から城壁を降りるとそれぞれ昨
日の広場に向かっていた。
お菓子の店、酒屋さん、土産店と様々な店が
並ぶ通り。まだ早い時間だがそれでも人出は
ある。小学生の一団も元気にやって来る。
私も一人で幾つかの店を覗いて歩いた。間口
は狭いがアクセサリーや貴金属の店先から
いつか奥行きのある中まで覗く。ツアーの顔
見知りの何人かにも会う。彼女達につられて
私も娘にイヤリングをそして彼女には少し太す
ぎるシルバーのリングは自分がはめていた。
私にはその趣味は全くなかったが。
28.50ユーロでたまたま持ち合わせ100ユー
ロ紙幣で払うとつり銭が足りない。店員の一人
は
「すぐ両替してくるから少しだけ待って」
と走って行った。残った店員は
「すみません。未だ今朝は早いのでつり銭が間
にあわなくて」
私は待っている間に
「すみませんが写真を撮らせて下さい」
と断りチョッと緊張した彼女にシャッター
を切っていた。
10時半にはホテル前に集合。少し早か
った私はバスの前に立っていた髭の大
男に声をかけた。
「グーデンモルゲン!昨日は随分走り
ましたね。フランクフルトからどれ位の
距離になりました?」
「そーね、350キロは走ったでしょうね」
「スピードはどれ位で走っているんです
か?」
「バスの法定規則は100キロです。トラ
ックは80キロです。他はフリーですよ」
「今回はドイツからスイス迄5日間走る
のは大変ですね!」
「ええ。でも次はアメリカ人を乗せて14日
間のスイスツアーなんですよ!」
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