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Washington 1981 |
ワシントンの旅 1999年6月 |
『至れり尽せりアメリカ東海岸周遊8日間』のツアー
5日目。6月22日(火曜日)今日はカナダのナイヤ
ガラ・フォール市からワシントンに入る予定。
10時半ホテルを出たバスは米加国境のレインボー
ブリッジを渡る。橋上ではバスを下車することなく係
官が乗り込んできてパスポートをチェックして米国へ
入国。
12時半、バッファロー空港を発って空路ワシントン
へ向かう。ほぼ1時間後にはワシントン・レーガン・
ナショナル空港に着陸。
(Arlington National Cemetary)
空港では日系のガイドが合流して早速ワシントン 観光がスタート。私にとってはNY同様16年ぶり の再訪。最初の訪問地はアーリントン国立墓地。 Washington,DCからポトマック川を渡ったとこは ヴァージニア州のアーリントンである。 ワシントンを訪ねた米国内外の観光客が必ず訪れ る名所でもある。真っ白な十字架や墓石が列をな す広大な墓地。強烈な陽射しがそれらの墓標に照 りつける。ケネディの墓地は奥の一段上にあった。 丁度その時救急車のけたたましいサイレンがすぐ 近くに聞こえた。何事かと思えばケネディの墓地 近く太った白人のおばさんが倒れており、まさに 介護をうけているとこであった。太陽の日が眩しい。 |
(At Lincoln Memorial)
その後訪れたのは緩やかな丘に建つ白亜のリンカーン記念
堂。17,8年前のワシントン出張の折に一度立ち寄ったこと
がある。巨大な6メートルのリンカーンの座像からまっすぐ眼
下の先を見るとワシントン記念塔が屹立している。昔ここを
訪ねた時には朝から雨で煙っていたことを思い出す。
その後バスはワシントン中心部に戻り、そのリンカーンが18
65年(明治維新の3年前)暗殺された現存のフォード劇場へ
向かった。街中の劇場前では強い太陽をまともに浴びながら
入場待ちとなった。劇場の中は意外に狭くしかし小奇麗にし
てあった。
(Ford's Theatre)
途中バスの中から車窓見学に終わった米国議会 とホワイト・ハウスは少し時間がとれるという。 フォード劇場のあと一旦バスを降りてホワイト・ハ ウスまで歩く。道路から少し隔てて42代のクリン トン大統領のホワイト・ハウスを眺める。 昔NY 駐在のM君とラガーディア空港からのシャ トル便でワシントンへ日帰り出張した折のホワイ ト・ハウスの主は誰だったろうか?多分40代の ロナルド・レーガン大統領だったと思う。 |
(White House)
夕刻5時過ぎにはバスで隣町のアレキサンドリア
市へ移動。翌6月23日(水曜日)午後には再び
ワシントン入りする。スミソニアン博物館前で一旦
解散。ホテルへ戻る人のバスは集合が3時半。
残って観光も自由。
私は一人で航空宇宙博物館に入る。実物の軽
飛行機や宇宙船の展示は昔訪ねた時と同様多
くの観光客を惹きつけていた。外国人はもとより
首都ワシントンには当然のことながら全米からの
国民がやって来る。
(The Capital)
見学の途中に突然館内で警報が鳴り響き一斉
退館になった。はっきりした理由も告げられず、
やむなく一旦館外へ出る。
遥か向かいの国立美術館へ歩く。1941年に財閥 メロン氏寄贈のコレクションを中心にオープンして いる。NY メトロポリタン美術館と肩を並べるアメ リカの代表的な美術館。 ダヴィンチと言えばモナリザであるが他に2点しか ないと言う彼の肖像画の一つが特別展示されて いた。ここも2度目であるがゆっくりと館内を歩く。 |
(At National Air & Space Museum)
午後3時半、ツアーの7ー8割の人はバスでホテルへリ
ターンと言う。松村君は残ってまだ見学すると言う。私は
自然史博物館にも行こうかと考えていたが結構歩き疲れ
たのでこれで切り上げることにした。
(National Gallery of Art)